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能登に来てほしい理由は3つ
ボランティアでなくてもいいので、能登に来てほしい。
そう言い続けてきたが、うまく伝わらないケースがあるので理由を整理しておく。
報道やSNSで能登が取り上げられることで、世論が形成され支援が後押しされてほしい
能登で頑張っている人を応援してほしい
いまだ衣食住の環境が整わない人を支援してほしい
道路の損傷していたりガレキが残さていたりショックを受けることもあると思うが、明暗両面を見てほしい
紛争地並みに少ない能登の情報を発信してくれる人々
自然災害が発生すると世論は盛り上がるが、そのうち急激にしぼんでしまうので不安に感じる当事者は多い。それに対し、世間の優先度が低くなっても、現地に入り見た人にしか分からない情報を発信してくれる取り組みがある。
2024年7月下旬に、日本各地で活躍するライター約20名が取材してくれることになった。専門家から受けた勉強会の様子も発信されている。
能登を語るときに暗いトーンになりすぎていることなどが紹
能登半島地震で笑うしかない感情と岸田奈美さんのだいじょうぶとの共通点
能登半島地震では笑うしかありませんでした。
家屋が傾き、電気が止まり、水道が出ない。自宅は高台にあったので人がうじゃじゃ集まってくる。毛布や着るものがほしいと玄関までくる人。近くの避難所は人であふれています。
感情のキャパを超える状況に、笑うしかない。ほんとに。
精神を正常に保つために、頭をフル回転させる。どこへ逃げればよいか、これからどうなるのか。17年前にも地震を経験していましたが、もはや
【初のコレ受け】アンメットでも残る能登の記憶
大抵のことは忘れてしまうけれど、大切なことは心のどこかに残っている。私の最大の関心事は能登半島地震の風化だ。2024年1月1日直後には、24時間テレビ取り上げられ、WEBや新聞でも地震の被害で埋まっていた。
しかし、4カ月も経つと目に触れる報道量は激減する。世間の人々は、震災は落ち着いたんでしょう、と過去の事にしてしまうようだ。現地では、まだ瓦礫の山で、被災者は明日の生活にも事欠いている。まだ水
5月になっても能登は変わっていない?地震発生からの優先順位を確認
2024年1月1日に発生した能登半島地震。4カ月経っても輪島朝市のあった本町通りの瓦礫は残ったままなことから、何も変わっていないという指摘が聞かれます。何一つ変わっていないか、地震発生から行政が取り組んできた優先順位を整理して、私なりに考えてみます。
1.道路の復旧地震直後に寸断された道路網は応急復旧され、緊急車両や地元住民以外も通行できるようになりました。
2.電力の復旧概ね1カ月後にはほぼ
YOASOBIの’’HEART BEAT’’に大火災の跡にたたずむ少女の姿がみえた
能登半島地震以来、耳を離れない音楽がある。YOASOBIのHEART BEATだ。この歌は10代の迷いから将来への決意を扱っていて、NHKの番組「18祭」を機につくられた。
10代の若者の純粋な気持ちを歌ったHEART BEATを震災と結びつけるのかどうなのか。自分の中でどう整理すればよいか結論が出ないのだが、なぜか耳について離れない。私には5日以上続いた大火災跡の焼け野原で、少女が立ち上がって
能登半島地震で全国の地方公務員から支援を受ける
2024年1月1日16時10分に能登半島地震が発生すると、私のiPhoneは通知が止まらなかった。Facebookを愛用している友だちの8割は、地方公務員の方々だ。個別に返信できる状況ではなかったので申し訳ありませんでした。今回の記事は、心配してくださっている方のうち、地方公務員の方に特化した内容です。ほかにも自衛隊や警察・NPO・一般の方々にも多大な支援をしていただき大変感謝しておりますが、くれ
もっとみる被災しても、同情するなら金をくれと言ってはいけない
令和6年能登半島地震で被災してから、多くの皆さんに声をかけていただいた。リアルでお会いしたことのない方から、SNSでご心配のメッセージが多数送られてきたのだ。
「私に出来るかとがあれば言ってください」
今は出来ることはないが心強いと思った。地震直後は通信状態が悪かったが、少しでも回復するとiPhoneの通知が鳴り止まなかった。心からありがたい。私は忘れられていない、被災地に関心を持ってくれてい