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震災で書けなかったライターが再び

書くことが支えてくれますように

書けなくて悩んでいたときに、ライティングの師匠がくれた言葉にハッとした。書くことが目的ではなく、生きるために書くのだ。家族や生活、私を取り巻くすべてのものを支えるために、自分のために書いているのだ。いま書けないことは罪ではない、いつか書けると思った。

2024年1月1日の能登半島地震はすべてをリセットした。
叔母は亡くなって無念だったが、ほかの家族が無事だったのが本当によかった。生きてこそ。

ただし、仕事のこととなるともう少し複雑だ。私はライターをしている。毎日ネタを見つけて書くのが日常だった。しかし、被災後は書けなかった。震災はネタの宝庫である。ライターたるもの、身内が無事であればとにかく書いて発信しなければならないのに。とてもそんな気にはなれずに1ヶ月が過ぎた。

私は避難所と親戚宅を行き来して、避難生活を過ごしていた。幸いなことに電気があるので、スマホの充電もできる。通信状況はよくないが、アンテナが立つところへ行けば、ネットやSNSでニュースをチェックしたり、フォロワーとつながることもできる。水はなかったが、電気があるのと無いのとでは安心感が違う。

数日たつと、支援情報だけでなく、被災地を取材した記事も目にするようになった。家族を亡くした被災者を取材したもの、被災地で役立つ支援物資の記事など。同業のライターさんが外から入ってきて、被災地の情報を発信してくれる。テレビが見られない世界では、文章の力は偉大だ。読んでいてハッとする記事や、お役立ち情報、泣かずには読めない物語。

私もライターだ。被災地の真ん中にいるのだから、外部に発信しないといけない。Macbookを救出していなかったので、iPhoneを使ってSNSで情報を発信していた。住民が必要な情報を、被災した自分自身が知りたい情報を書き続けた。

しかし、SNS以外のまとまった文章は書けない。書く気がしなかった。生き延びよう、家族を守ろうとしていたかもしれない。震災の状況は映画のようだった。経験したことのない縦揺れ、大津波警報でけたたましくなるスマホ、避難所から見える対岸の大火事。世界が終わった、と思った。

思い出したのは、なぜか宇宙戦争という映画。スピルバーグとトムクルーズがコラボして話題となったパニック映画だ。侵略者に追いかけられ、車は渋滞。港に停泊している船に乗ろうとするが、先に出発してしまう。やり場のない無力感と絶望。

現実の世界でも、大地震が再び起こっても不思議はない。今ある電気も絶対ではない。少しは落ち着いて体育館で横になれる状況も、いつまで続くか保証はない。飛び続ける自衛隊のヘリも情報収集の段階である。

3日ほど経過して、給水が始まり仮設トイレが設置される。食糧も配布されはじめた。街中のスーパーも短時間ながら営業を開始した。膨大ながれきのなか、少しずつ家の片付けをはじめ、今後の生活を考える。そうだ、私は書かなければ。子どもたちが通学できない状況でも、少しずつ書き始めた。

書いたのはいただいていた仕事の案件ではない(申し訳ないが、キャンセルさせていただいていた)。プライベートな気持ちを整理するつもりでnoteを書いた。一本でも書くと、気持ちが楽になる。この時期に、SNSでいただいた言葉が、冒頭の書くことが支えになりますようにだ。

仕事ではない。自分を支えるために書くのだ。強制されて書くのではない。いまは書きたいものを書くのだ。感情の赴くままにキーボードを叩いているので、整理されているわけでないし、私以外にはわかりにくいかもしれない。

いつか、書き殴っているときの感情に整理がついたら、もう一度同じテーマで書いてみよう。未来の自分がどんな風に書くのか、どんな支えになったのか楽しみにしながら、今日も書く。

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