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絶望と失望を経て、星野世那が照らす日本一への希望/高校野球ハイライト番外編・近江

「あの投球では使えない」。3回途中で降板した八幡商業戦後、星野世那は多賀章仁監督に告げられた。甲子園ベスト4まで進んだ長い長い2年の夏。「ベンチには入れ続けてもらったけど、登板はないだろうと思っていた」。言葉通り、この試合以降のマウンドに星野が立つことはなかった。

出身は草津リトルシニア。滋賀学園の服部弘太郎や比叡山の有川元翔らと全国準優勝も果たした星野は、2018年の林優樹に自分の姿を重ねてブルーのユニフォームに袖を通した。
角度あるストレートや大きな縦カーブだけでなく、林から握りを教わったチェンジアップも操る。同級生の山田陽翔が駆け抜けるスター街道こそ乗れなかったが、林や山田と同じ出世番号の18を背負うなど期待は十分に感じていた。
2年秋の近畿大会後は球威アップを狙い、実家で体作りに励む。「食事の間にも角モチを焼いて砂糖醤油。冬だけで9キロ体重が増えた」。最高学年になった180センチ左腕はMax139キロまで成長を遂げ、確かな自信も付いた。はずだった。

代替出場から準優勝まで駆け上がった今年のセンバツ。星野の登板はなかった。
いや、正確に言えばあった。唯一の登板は決勝の大阪桐蔭戦、山田が足のケガを理由に降板を申し出てからのこと。またも突き付けられた実力不足と信頼不足。「しんどかった。試合があったのに投げさせてもらえなかった」。最初から絶望していた去年よりも苦しい、自分自身への失望を味わうことになる。

ただ、星野の心は折れない。
「2番手、で止まったらそれまで。マウンドでは自分がエース」。最後の夏を前に示した強い意志。多賀監督からは「カギを握る」と文字通りキーマンに指名され、積極的に起用されてきた。
それだけに、滋賀大会の準決勝・比叡山戦の悔しさは察するに余りある。先発しながら3回途中5失点。1年前の八幡商業戦を思い起こす結果に「もう登板はないのか…」とこちらが不安になった。上がっては落ちる。上げては落とす。星野の物語はいつも縦カーブの軌道を描く。

滋賀大会の優勝後。囲み取材で「甲子園でどのような試合を見せてくれますか?」と聞いた私は、多賀監督から「星野次第です!」と予想の斜め上を行く答えを聞いた。周りにいた報道陣の動揺も感じつつ、星野への期待が消えていないことにホッとしたものだ。
そして鳴門戦の9回、待ちに待った夏甲子園の初マウンドがやってくる。いきなりピンチを背負うが、最後は磨き続けたチェンジアップで三振を奪って無失点。星野の夏は終わっていなかった。

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星野メモより。「甲子園のベンチから試合を見た経験は負けない」

「甲子園のベンチから試合を見た経験は負けない。だからこそ思い入れはある」。こんな言葉を聞いているから、どうしても祈るように見てしまう。
山田陽翔を中心に、本気で日本一を目指す今年の近江。私も滋賀県民として、希望を託してみようじゃないか。改めて書く。近江優勝へのカギは、星野世那が握っている。




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