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パーキンソン病関連「大脳皮質基底核変性症(CBD)」の発症から最期を迎えるまでの経過

パーキンソン病関連疾患とは、パーキンソン病(PD)、進行性核上性麻痺(PSP)、大脳皮質基底核変性症(CBD)をさしている。PDはドーパミンが効きやすく、脳のMRI画像に特異な異常が見られないのに対し、他のPSPやCDBはドーパミンが効くこともあるが、進行と共に効力を失う。またMRI画像には脳の萎縮などの異常が見られる(素人目にも脳の萎縮が分かる程)。またPDに比べてPSPやCDBは進行が早く、PSPは5年程度、CDBは平均10年で寝たきりになり、予後不良になる(寝たきりによる全身衰弱は点滴や胃瘻、静脈栄養で対処できるので嚥下肺炎が圧倒的に多い)。ここで取り上げるのは、自分の父親がCBDになり、13年に渡る経過を箇条書きでまとめたものである。


13年に及んだ大脳皮質基底核変性症(CBD)罹病期間

2006年頃

幻覚や幻聴など、認知症の症状が現れ始める。

2007/8

埼玉土建宮代支部の日比谷デモ行進の際、歩き方がおかしい(べた足)と言われる。周りからは疲れているみたいだといわれたという。飲食時に手の震えの症状を呈する。実はパーキンソン病関連疾患だったことが後に判明する。

2007/11

江原医院に来院し、ここから伊奈病院で頭のMRIを撮り、後日画像写真を江原医院に持参。江原一也医師は「パーキンソン症候群」で、「多発性脳梗塞」と診断。同時に認知症のテストを実施。江原一也医師は手のひらを指5本開いて出し「あとこれだから」と家族に言った。進行性核上性麻痺の場合、5年で寝たきりになり、以降予後不良であることから、暗に5年の命という意味だったのかもしれない。このときは、何時もの血圧の薬とL-ドーパ、アーテン錠、ビ・シフロールを処方した。後に「俺は何の病気だ?」と言っていたことから、江原一也医師は本人に病名を告知していないのは明らかだった。その後約6年間程は普通に生活ができていた(2013/7頃まで?)。しかし、江原一也医師はMRI画像を家族や本人に見せて説明する、ということをしていなかった。

2011/3/11

東日本大震災。

2011/5

埼玉土建宮代支部を退団。仕事を辞めて5年も経ってからのことであった。

2012/10~

白内障でミス眼科で日帰り手術。以降長期通院。

2013/5頃

認知症の症状を呈した。家族を混乱させる一幕になる。

2013/8/10頃

歩けないと言い出す。さらに90分風呂を2回する。

2013/8/15

玄関で転倒(?)し、頭を負傷。救急車で久喜総合病院に運ばれる。応急処置後帰宅するが、タクシードライバーには「介護タクシーの方が良いんじゃないですか」と言われる。この日の午後再度来院(耳鼻科)。自分では歩けず病院の職員に車椅子を出してもらう。これ以降自力で歩くのは難しくなり、夜間トイレ(小さい方)はバケツの中にしていた。以降、江原医院へは3週間毎に通院していた。

2013/12/16

大腿骨頸部骨折で東埼玉総合病院へ救急搬送。そのまま入院となる。

2013/12/25

人工関節に置換する手術。要介護4認定。

2014/1/17

白岡中央総合病院へ転院。リハビリ。

2014/2~3

退院へ向けて準備。ケアマネージャー、白岡中央総合病院の訓練士訪問。介護ベッド、高橋医科器械から、車椅子、歩行器、スロープをレンタルする。オムツの宅配の契約。

2014/4/9

白岡中央総合病院退院。

2014/4/19

ディーサービス「ひだまりの家(現在はグリーンライフ宮代デイサービスセンター)」に通所開始。

2014/4/24

東埼玉総合病院への通院開始。手の震え方などから、神経内科町田裕医師の診断も「パーキンソン症候群」。れまで飲んでいた薬はすべて駄目と言われ、メネシット錠(ドーパミン)、ナウゼリン錠(胃薬)を処方される。

2014/5/22

頭のMRI検査。

2014/5/24

東埼玉総合病院神経内科通院。頭のMRI画像を見せられるが、素人目にも脳の中が萎縮でスカスカであることがはっきりと分かる。程なくして大脳皮質基底核変性症(CBD)と告げられる(国指定の難病)。新たにビタミンBを処方される。この頃から度々胃瘻の話が出てくるようになる。

2014/6/2

東埼玉総合病院整形外科へ通院。整形医には「要介護4じゃないよね」といわれ、さらに「通所リハビリの方がいい」と言われる。

2014/6/9

尿路感染で春日部市立病院(現在は春日部市立医療センター)へ搬送。9日間の入院。

2014/8

この頃から、もとむらクリニックへの通院始まる(血圧、前立腺肥大)。

2014/10から

東埼玉総合病院整形外科(骨粗鬆症外来)への通院始まる。新たに骨粗鬆症治療薬、カルシウム、ビタミンD3製剤が処方される。

2015/1

要介護3認定。

2016/4

ケアマネージャー定年に伴い交代。

2016/9/6

はーとぴあへの通所開始(ディケア、通所リハビリ)

2016/12/2~12/24

蜂窩織炎で東埼玉総合病院へ搬送、3週間の入院。

2016/12

本人、家族、ケアマネージャー、ひだまりの家、はーとぴあ、高橋医科器械店一同集まって今後の介護についての会議。

2017/1

パンをのどに詰まらせるが自宅で対処、事なきを得る。

2017/5/1

歩行器で歩くも転倒、以降介助なしでは歩行器使っても歩けなくなる。

2017/6/18

転倒しあばら骨を折る、東埼玉総合病院救急外来で対処。

2018/3

ケアマネージャー異動により交代。

2018/3/5~3/17

尿路感染で東埼玉総合病院へ2週間入院。

2018/7/18

東埼玉総合病院整形外科(骨粗鬆症)外来通院終了。担当医からは「厚生労働省の統計によると(2018/7時点で)日本人の平均寿命は男性は81.4歳、女性は…」という話になり、要はこれ以上治療の意味はないと言うこと。今後も診療希望の場合は医師の名前を言って予約を取って来てもいいとのこと。この頃から、神経内科への通院も3ヶ月に1回に間が開くようになる。

2018/12

本人、家族、ケアマネージャー、ひだまりの家、はーとぴあ、高橋医科器械店一同集まって今後の介護についての会議。

2019/2/28

のどに詰まらせ死にかける。久喜総合病院へ搬送、帰りは介護タクシー。

2019年夏頃から

ディケア、ディサービスに通所する日以外は座りながら寝ていることが多くなる。食欲は変わらず旺盛で、スナック菓子を一人で一袋開けてしまうことが多かった。段々と失禁(大小便)を繰り返すようになる。

2020/2/29

ハサミを顔面に突き刺し出血、当日はもとむらクリニックへ介護タクシーで向かう。3/1から東埼玉総合病院の紹介で杉戸クリニックへ数回に渡り通院。

2020/4/17

東埼玉総合病院神経内科へ通院。帰り車の中で血相変えて座っている。CBDの症状である。

2020/5以降

スナック菓子をねだらなくなる。テレビの時代劇にも関心を持たなくなる。

2020/6

蜂窩織炎でもとむらクリニックで対処、症状は治まる。

2020/7/1

はーとぴあへ行く日だったが、行かないと言い出しこの日以来昼11時まで寝てることが増えてきて、やがて15時、17時まで寝てるようになる。食事ものどを通らなくなってくる。

2020/7/10

東埼玉総合病院神経内科通院。町田裕医師から「頭の中では早く逝きたいとと思っているんですよ」と言われる。さらに、自宅介護の限界に達しているとみていたのだろう、今後は施設入所等考えた方が良いと言われる。今回が最後の通院となった。

2020/7/17

もとむらクリニック最後の通院(血圧)。

2020/7/20

ひだまりの家にやっと行くも、意識がおかしくなっていたらしく昼過ぎで早退。これ以降、寝る時間が急速に長くなりほとんど寝たきり状況になる。

2020/8/17

ケアマネージャー訪問。

2020/8/19

ケアマネージャーから、体のあちこちに床ずれがあり、ここから菌が入って敗血症になったら大変なことになるから、すぐに救急車呼んだ方がいいと言われ再び東埼玉総合病院へそのまま入院。担当医からは病気が進行したとしかいえないと言われる。病院はすでに新型コロナ対策の関係で、全病棟で面会禁止。

2020/9頃

病院の相談員から、療養病院3箇所を紹介される。

2020/10/12

東埼玉総合病院から南部厚生病院へ転院(介護タクシー)。転院の際は点滴をつけたまま移送(食事を摂らないため)。南部厚生病院でも食事をろくに摂っていないからと経鼻が基本にされる。

2020/10以降

ひだまりの家、はーとぴあの解約。レンタル用品(介護ベッド、歩行器、スロープ)すべて返却、精算。オムツの宅配解約。要介護認定は「5」。

2020/12頃

南部厚生病院の相談員から、難病認定受給者証の紹介を受け、すでに東埼玉総合病院の担当医に連絡してあるからとのこと。診断書を受け取り幸手保健所へ申請に行く。

2022/2

町田裕医師(東埼玉)の診断書の不備で、一旦審査が保留される。改めて審査をやり直すことになる。

2021/5

難病認定受給者証の申請、認定される。

2021/5/27

肺炎を起こしていると連絡がある。このときは一旦軽快する。

2021/9

栄養が足りないからと静脈からの点滴にしていいか連絡あり。肺炎は軽快、憎悪を繰り返していたらしい。

2021/9/13

社協のケアマネージャーからその後の経過について尋ねるTELがあったが、退院の目処は全く立っていないと返答。

2021/10/8

尿道用カテーテルが通らない(前立腺肥大のため)からと春日部市立医療センターへ救急搬入。処置はすぐに終わり、介護タクシーで南部厚生病院へ戻る。

2021/10/15

担当医に呼び出され、肺炎の再燃とのこと。看護師は肺は真っ白だという。明日最期を迎えてもおかしくないとのこと。覚悟するように言われる。

2021/10/18

血圧が60,30と急降下している、とにかくすぐ来てくれと連絡。病院に着いたときはすでに呼吸停止。14:48、死亡確認。死亡診断書には死因は肺炎で6日間罹患、その元の原因はパーキンソン病、13年罹患とあった。

2021/10/22

荼毘に付す。遺骨からは大腿骨頸部骨折の際に埋め込んだ人工関節も一緒に出てきた。

2021/10/24

葬儀は家族二人だけで執り行った。

2021/11/25

信金ローン(葬儀)最初の引き落とし。以来、2年に及ぶ支払いに追われることになる。

2021/12/23

納骨。家族だけで執り行った。

2023/10/25

最後の信金ローン(葬儀)の引き落とし。

2023/10/30

川口信用金庫から、信金ローンが終了した旨の通知が届く。

資料

7年間の入退院でかかった医療費は総合計:798,418円

終末期医療でかかった医療費1年間総合計:1,120,705円

※春日部市立医療センター処置費(680円)は含まない。

葬儀代388,421円(サイカン)

※寺にお布施として払った読経等は7万円、49日後の埋葬時は3万円。
※石材店に手間代として支払った金額は1万5千円。

エピローグ

パーキンソン病よりも進行が早く、10年で寝たきりになることがある大脳皮質基底核変性症。頭文字をとってCBDと略称。

要介護認定の基準は、在宅介護が出来る、という意味ではなく、病気が進行すればそれは困難になる。

難病認定を受けて医療費の受給者証を交付されても、それはあくまで医療費が気持ち安くなるのみ。年金の大半は医療療養費にもって行かれることになる。

誤診や病名を告知しないことは、残された人生に多大な不利益をもたらす。一人の医者に固辞せず、セカンド、サードオピニオンを求めるべきである。

(終わり)



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