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  • パーキンソン病関連疾患「大脳皮質基底核変性症」13年の経過

    パーキンソン病関連疾患「大脳皮質基底核変性症」13年の経過について、発症から亡くなるまでを実体験としてまとめたもの。全編ノンフィクション/実話です。

最近の記事

1.汎用機オペレーターは二次請け、三次請けの世界

1988/4、株式会社コモンシステム入社、技術事業部第一課配属。システム機器(井関農機の子会社)を通して井関農機電算課(千代田区紀尾井町、当時)へ汎用機オペレーターとして派遣された。コモンシステムの就労条件は、隔週での週休2日制、交通費(定期代)は全額会社持ち、となっていた。 1988年は完全週休2日制への過渡期で、隔週での週休2日制としているところが多かった。土曜休みは銀行の窓口業務(午前中のみ)と合わせるところが多く、土曜は当時の学校(小中高)と同じで午前中のみというの

    • パーキンソン病関連「大脳皮質基底核変性症(CBD)」の発症から最期を迎えるまでの経過

      パーキンソン病関連疾患とは、パーキンソン病(PD)、進行性核上性麻痺(PSP)、大脳皮質基底核変性症(CBD)をさしている。PDはドーパミンが効きやすく、脳のMRI画像に特異な異常が見られないのに対し、他のPSPやCDBはドーパミンが効くこともあるが、進行と共に効力を失う。またMRI画像には脳の萎縮などの異常が見られる(素人目にも脳の萎縮が分かる程)。またPDに比べてPSPやCDBは進行が早く、PSPは5年程度、CDBは平均10年で寝たきりになり、予後不良になる(寝たきりによ

      • 本当のことを告知しない不利益

        若い医師は物事をはっきりと告知する。一方、昔の医師は本当のことを言うと患者やその家族はショックを受けるし可哀想だからと、曖昧にしてしまう傾向があると思う。実際に、東埼玉総合病院やその前の江原医院の通院でまさに対照的だった。本当のことを言わずに曖昧にしておいたり、なだめすかしておいたりすることは、患者や家族には不利益しかもたらさない。 本人/家族に隠すことは残された人生に不利益をもたらす病気の進行で、2013/8頃からは自分では歩くのも難しくなって来つつある状況(杖ついて歩く

        • 難病受給者証の交付

          転院後最初2021/10分の入院療養費は18日前後で若干低くても(計81,730円)、翌2021/11からはまともに1ヶ月分の入院療養費がかかってくる(計115,650円)。2021/12に入ってから、医療相談員から「難病認定証」の話を聞く。これが認められれば、毎月の療養費が下がるとのこと。すでに東埼玉総合病院に通院していた頃の町田裕医師に診断書を書いてもらっているから、必要な手続きを保健所で行うように、とのことで、入院が長引きそうだから、ともいう。 難病受給者証の交付制度

        1.汎用機オペレーターは二次請け、三次請けの世界

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        • パーキンソン病関連疾患「大脳皮質基底核変性症」13年の経過
          34本

        記事

          要介護認定と自宅介護の限界

          65歳以上で介護施設(介護用品の利用、介護用品の宅配、訪問介護、通所介護、特別養護老人ホームへの入所等)の利用には要介護認定を受けることが必要となる。 要介護のランクに応じて介護サービス利用時の 料金にも差が出てくるが、要介護度のランクが高いほど、介護サービス利用時の料金は本人負担1割とはいえ、 料金が高くなる。 要介護認定の基準介護認定は、審査員が本人と直接面談の上、コンピュータによる第一次判定が行われ、1次判定の結果と担当医の意見書を元に二次判定の会議が行われ、決定。家

          要介護認定と自宅介護の限界

          パーキンソン病関連疾患「大脳皮質基底核変性症(CBD)」

          2014/4に東埼玉総合病院神経内科に通院し始めてから、町田裕医師は大脳皮質基底核変性症という病名を出してきた。パーキンソン病という病名は聞くことがよくあったが、大脳皮質基底核変性症という病名はこれまで聞いたことがなかったので、難病公式サイトや神経内科の病院、介護施設など情報を調べてみた。 パーキンソン病関連疾患は国指定の難病パーキンソン病関連疾患とは、パーキンソン病(PD)、進行性核上性麻痺(PSP)、大脳皮質基底核変性症(CBD)をさしている。いずれも国指定の難病で、大

          パーキンソン病関連疾患「大脳皮質基底核変性症(CBD)」

          実際の葬儀費用

          ※家族二人だけで行った場合の費用は以下の通り。最初に見積もった金額と同じ金額と同じである。葬儀店に支払った金額だが、勿論葬儀店によって支払い方法は異なるとは思うが、ここでは一括払いのみの対応だった。 Pプラン(仏式):会員コース価格120,000円 祭壇一式:一般価格150,000円 ※会員コース料金に含む 桐桶(k-8)6.25:一般価格65,000円 ※会員コース料金に含む ※棺桶 骨容器白一式:一般価格10,000円 ※会員コース料金に含む ※白地 位牌・塔婆一式:一

          実際の葬儀費用

          終末期医療費等記録

          2020/10/12~2021/10/18の約1年と1週間に及んだ入院期間は、いわいる終末期医療で、治る可能性の全くない延命治療という期間にあたる。この間にかかった医療費についてもご報告する。なお、国指定の難病のため、「難病医療費受給者証」の交付を受けられるが、申請してから交付まで3ヶ月程度かかる。有効期間は申請した日から始まるが、受給者証が交付されるまでは一旦病院に全額支払う必要があること、その領収書を保健所に提示して払い戻しを受けることになることも知っておいて戴きたい。実

          終末期医療費等記録

          7年間の入退院でかかった費用など

          住民税非課税世帯という事情で、医療費は限度額受給者証の提示で24,600円に抑えられても、あくまでも健康保険適用分のみであり、食費や個室利用料は保険適用外であること、またレンタル衣料などは外部の出入り業者なので、その分の費用は別にかかることに留意して戴きたい。なお、移動のための介護タクシーの費用はここでは含まれない。 大腿骨頸部骨折の医療費※4ヶ月に及んでいるが、1ヶ月毎に計算。なお、1月途中で転院しているので、その分は分けて掲載。 2013/12/18~2013/12/

          7年間の入退院でかかった費用など

          29.葬儀の日を忘れていた住職

          当時サイカン互助会の積み立てをしていたことから、サイカンに依頼することにしたのだが、過去の苦い経験から、派手な葬儀は一切行わず、出来れば直葬とすることを望んでいる旨伝えた。サイカン側は寺にも話を聞くべきだと言う。結局寺側の強い意向に押し切られる形で葬儀を行うことになったのである。 二人だけで行った葬儀サイカンの話では秋は亡くなる高齢者が多いので、火葬場の空きがないといわれ、結局荼毘に付したのは4日後の2021/10/22だった。 朝、遺体を乗せた霊柩車はサイカンを出発。自分

          29.葬儀の日を忘れていた住職

          28.最終段階

          パーキンソン病関連疾患は転倒して頭を打ったり、寝たきりになってから全身衰弱や肺炎で命取りになる。全身衰弱は点滴や静脈栄養、胃瘻でカバーできるので肺炎が圧倒的に多い。2021/5/27には酸素濃度が低下し、肺炎であることが判明したが、その後は再発と小康状態を繰り返すようになっていた。容体が危ない患者はスタッフステーションの隣室に移動するのだという。 入院期間は6ヶ月が目安ということだが、退院の目処が立たないまま、8ヶ月を経過していた。そんな中で肺炎を起こしていたのである。 嚥

          28.最終段階

          27.看護師サンタと記念撮影

          2020/7に入ってから寝てる時間が長くなる一方で、食欲などの生存欲もなくなり、1日1食がやっと、それも一口二口で「いらない」となってしまっていた。東埼玉総合病院入院時それでは生きていくのには全然足りないと言われる。南部厚生病院(終末期医療の療養病院)転院後も変わらず、食べないから点滴で栄養補給するのみであった。 食事を摂らないため経鼻栄養になる井之上直子医師に呼び出されて話を聞いてもやはり1日あたりの食事量も足りないので、点滴で栄養補給するようになっているという。今後も点

          27.看護師サンタと記念撮影

          26.「1ヶ月12万円の療養病院をご紹介します」

          当時新型コロナ感染対策のため、病棟への立ち入りは医師や看護師などの面談以外はすべて禁止されていた。このため経過を知ることは病棟手前の廊下で看護師に聞く以外には方法がなかった。 入院後かなり日時が経ってから、医療相談員(ソーシャルワーカー)に呼び出され、転院先を3ヶ所紹介されるが、いわいる終末期医療の病院だった。 改めて療養病院を紹介される家族の希望通り、急遽要介護認定の再判定を行うことになったが、面会制限があるため、認定員と看護師が二人だけで本人と面談を行った。 再度医療相

          26.「1ヶ月12万円の療養病院をご紹介します」

          25.「病気が進行したとしか言えません」

          ディサービス「ひだまりの家」を早退後はもう通所に行くことはなかった。ほとんど寝てるだけ、食事は1日1回で寝たまま、それも一口か二口で終わり、という状況がずっと続いていた。トイレに行くにも歩いて行くこともできなくなった。介護用トイレを用意するも、自分で移ることはできず、昼間もオムツを着けておかけなければならなくなった。 ケアマネージャーの来訪2020/8/17にケアマネージャーが介護計画書を持って訪問したときは何とかベッドの横に座ることはできていたが、座りながら寝てる、という

          25.「病気が進行したとしか言えません」

          24.寝たきりへの急速な進行

          2020/7/1、当日は「はーとぴあ」に通所する日であった。普通ならそれより前には起きているし、起こしに行けば応じるはずだったのが、「行かない」と言うのみ。結局この日は休みになり、11:00過ぎになってやっと起き出し、着替えさせるなどの介護を行った。 通所介護やリハビリから帰ってきた翌日には確かに11:00過ぎまで寝ているようになっていたとはいえ、その翌日には普通に起きていた。 食欲など生存欲の消失翌日以降も、11:00過ぎまで寝ているようになり、通所リハビリ「はーとぴあ」

          24.寝たきりへの急速な進行

          23.蜂窩織炎の再発

          2020/4/17の異変以降、あれほどほしがっていたスナック菓子やビスケットも段々ほしがらなくなってきた。またテレビでやっていた時代劇の放送にも関心がなくなったのか見ようともしなくなった。 それでも、ディサービスの連絡帳を見る限りはレクリエーションに参加していたし、ディケアでもリハビリ頑張ってますと書いてあったものである。 蜂窩織炎は通院で対処したが…自宅での食事は自分で食べることをしなくなり、「口にもってくれ」と言うようになってきた。最初意味が分からなかったが、「口の中に

          23.蜂窩織炎の再発