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三田村さんのことを書いたら、「俗世に向いていない」認定を岸田さんにしてもらいました。

大人という年齢になってずいぶんと
経ちますが。

おとなといっても、わたしはまだ
おとなであることに慣れていなくて。

美術館とか映画館でむかし「おとな1枚」って
ぼそっと言う時に。

おとなだよな?
わたし、え?  
おとな?
って自問自答してしまうところがある。

年齢はな、って自分でツッコんで少し
もやった頭のまま、絵画なり映画をみる
ことになるのだけど。

大人らしくないことばかり日々やらかして
おるわたしですが。

昨日の夜、うれしいことありました。

それはわたしがかつて子供だったことを
もういちど、思いださせてくれるような
そんな経験で。

あの夏休み、子供だった頃をひらひらと
思い出させてくれました。

ずっと前に、岸田奈美さんがご著書の
『もうあかんわ日記』を出版されたことを
記念して、読者の方の「もうあかんわ」的な
話を募集してはりました。

あ、よさげだと思いつつも。

わたしにはうまく書けねえなって。

そんなにね、そんなに。

面白い話とかじゃないけど、わたしのなかの
「もうあかんわ」的な経験って、佃煮にする
ほどあるやんかぁってじぶんを省みながら。

ひとつだけ、投稿していたんですわ。

そしたら、昨晩採用されているご連絡を
頂きまして。

わたしの中の小さな時の「もうあかんわ」と
言えば、圧倒的に算数でしたので、算数ネタで
なんかあるかなって思っていたら。

あ、引き算の「借りてきて」問題って
ありますよねって思いだして。

ほら、あれ。繰り下がりするやつ。

引くほうがでっかくて、引かれるほうが
ちっちゃいという、あのめんどくせ~
タイプの引き算ができなくて。

みんな素直になれよって内心思ってた。

⇊こんなふうに掲載されました。

隣から借りてきて(ゼロの紙)

大きい数字の引き算がいまだ苦手で。昔習った時も問題を解いているとき「隣の数字から借りてきて」って母が教える度に、ほんとうにお隣の三田村さんのおうちを見てしまう癖があり。今も大きい数字の引き算をするときに時おり、三田村さんを思い出します。

⇪これほんまの話です。

位の大きい隣の数から借りてきなさいって
母に言われて。
実は、位の大きいっていう言い方もほんまは、
気になってました。

王様のように位が大きいのかと。
1の位ってあかんのかと。

そうこうしていたら、隣りから借りてきてって
母の声がするわけです。

わたしは応接間でその算数を習っていたんで
すが。

母の言う「隣」におもいっきり反応して。

それは「お隣」といえば、幼いわたしにとっては、
「三田村」さんでしかなかった。

それも、お隣は2件、南北にいらっしゃたのだが。

隣りとは南隣りのいつもカレーの匂いのしている
「三田村」さんでしかなく。

決して北隣りの三味線を抱えた踊りのお師匠さんが
昼間からいらっしゃる「酒井」さん宅ではなかった。

三田村さん家で飼っていた犬が子犬を産んだとき
弟はその可愛さへの愛情を表現したくて、
ぬいぐるみを可愛がるかのように、子犬を噛んだ。

その「三田村」さん家のことだ。

可愛くてたまらない時、弟はあらゆるものを
噛んだ。

犬に噛まれたのではなくて、犬を噛んだって
しばらくは近所でも噂になっていたけど。

よしちゃん(仮名)あまりに可愛かったから
仕方ないわね?って言って笑って弟を叱ることも
なかった。

とてもやさしい「三田村」さんだった。

そして夏休みの宿題をしてていたわたしは、算数の
繰り下がり引き算の時に三田村さんをチラ見したことで、
母は怒るのだが。

仮にですがお隣に行って、


「繰り下がりの数字を借りに来ました!」


って、ピンポン押してもしわたしが言ったとしても、
なんかそれらしいものを貸してくれそうなぐらい、
慈悲のかたまりのようなリアクションをしてくれた
であろう三田村さんのことを思い出す。

そしてふいに思いだしたのだけど。

夏休みになると三田村さんのお宅の台所に
お邪魔していた。

いっしょに料理を作るお手伝いをさせて、
もらっていた。

お煮しめを作る時に、こんにゃくがでんぐり
返りしたようなあれ。

⇪このくるんってなるやつを、はじめて習ったのも
三田村さんのお宅でだった。

あれをはじめてした時のよろこびは今も
覚えてる。

わたしがちゃんとくるりんぱをできた時に
三田村さんがすごくほめてくれた。

○○ちゃん、上手だねって。

子供はほめられると、この世の幸せをひとり
じめにしたかのような気持ちになる。

今もなんでもかんでもこのくるりんぱみたいな
こんにゃくをしたくて。

むだにこれをしたがるわたしがいる。

夏休みのさなかにこれを三田村さんに習った
わたしは、母に訓練の成果をみせるべく
しぬほど、くるりんぱを作り倒したらしい。

もうええ。
もうええからと。

今もこんにゃく入れるんだけどあれにする?

って母に言うと。

必ず「ふつう」でいいと返事が返ってくる。

こどもだったのは、大昔だ。

でも今こうやって書いていると、あの頃のちいさな
わたしが恥ずかしそうに、ぺたぺたと裸足で
三田村さんちを走り回ってる絵が浮かんでくる。

わたしたち一家が暮らしていたあの家はもう
知らない人たちの家になって。

お隣の三田村さんも数年前に引っ越されたらしい。

ある日、我が家にとある電話がかかってきた。

家電が鳴るのは久しぶりだった。

受話器の向こうでは小さい時しか呼ばれた
ことのない呼び方でわたしを呼んでいる。

耳に馴染んだその声は、まぎれもないあの
三田村さんだった。

あの頃よりは少しだけおとなっぽい挨拶を
したとき、○○ちゃんおとなになったのね
って、感慨深げに言ってくれた。

わたしおとなになったのかって。

十二分すぎるぐらいおとななのはじぶんの
顔を見れば知っているけど。

三田村さんにあらためてそう言われて、
なんだか喉がしょっぱくなった。

そしてちいさかったちょっと平和だった
頃のわたしを覚えている人がこの空の
下にいらっしゃることは、わたし色々
あったけど生きていてよかったと思った。

だから、あの日は言えなかったけど。

三田村さんもずっと長生きしてほしい。

そしてこの投稿記事に対して、
岸田奈美さんはとても温かい言葉を贈って
くださった。

岸田より
数字を借りてくる、って小学校の先生が言ってたなあ……。いい言い回しでした。ものすごく懐かしい気持ちになりました。わたしも三田村さんを思い出すようにします。

今週のもうあかんわ「俗性に向いていない」より。

岸田奈美さんが「三田村」さんの名前を呼んで
くれはったことがむしょうに泣きそうにうれし
かった。

わたしの幼かったころを思い出させてくれた
岸田奈美さんと#もうあかんわ 企画に
感謝したいです。

そしてたくさんあのエピソードで笑って
くれるひとがいたら、ひたすら嬉しいです。










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