ひとりとひとりだから出会えた。心に刺さる、触れてくる音/藤井風『grace』のイントロの秘密。
好きだった絵本と好きな曲に
とても深いつながりを発見して
うれしくなっていた。
好きだった絵本。
それは『スイミー』。
レオ・レオニの絵本。
好きな曲は藤井風さんの
『grace』。
音楽プロデューサーのyaffleさんが
イントロにイメージしたのが絵本の
『スイミー』だったそう。
ものを手で触った時の手触りのように
音にもテクスチャーと呼ばれるものが
あるらしい。
響きといわれるもの。
あの曲のイントロのピアノやギターによる
コード進行はベーシック。
でもそこでイメージした音の響きは
『スイミー』の世界だったそう。
yaffleさんの言葉でこの話を聞いた時に
すきな音楽とすきな絵本がこんなふうに
自在にむすびつくクリエイティブの
在り方にどきどきした。
音楽と絵本はきわめて仲がいいけれど。
お互いの世界が影響し合ってまたちがう
あたらしいものができてゆく様を知って
うれしかった。
そして風さんの『grace』をyaffleさんの
言葉を感じるように聴いてみた。
いつもなじんでいたあの曲のイントロの
高揚感に再会する。
あぁと思う。
あの高揚感はちいさな音たちというよりも
海の中でのちいさな魚たちがひとつになって
ちからあわせているそんな気持ちになる。
魚や音たちの心がどこかにひとつになって
ゆくさま。
そのイントロの魅力の秘密はここにあったん
だなってもういちど絵本を開きたくなった。
そんなはじまり。
災難はすぐにやってきて、マグロのえさに
みんななってしまったのにならなかったのは
スイミーだけだった。
でもひとりでひたすらさびしくて。
海の底よりもきっとかなしかった。
ひとりは平気だってみんないうけど、
それはほんとうのひとりっきりを
知らないからだと思いながらわたしは
むかし読んでいた。
海は暗いけど、
それでもすばらしいものたちが
集うところだから。
それをみていたら楽しくなったスイミー。
そのとき、 岩かげでスイミーが 見つけたのは
スイミーに似た そっくりの、 小さな魚の
きょうだいたち。
思い切り寂しかったときにそっくりに
出会うって、希望。
でも彼らは大きな魚に食べられないように
しなきゃいけないから岩陰から出られない
という。
ここだ。
って腑に落ちる。
いわゆる腹落ちというあれ。
ひとつの楽器で和音を弾くのではなく
パートひとつひとつの音が合体したら
おおきなひとつの音になることを想像して
つくられていたgraceのイントロ。
そこが具体的にイメージできるようで
心でじかに音を聞いている気持ちになって
いた。
あの大団円のような最初から高揚する
感覚の秘密に触れた。
そしてお話は
そんな言葉でむすばれる。
ひとりひとりが集まって、ひとつの
おおきな音になる、魚になる。
そしてそんなひとつで、世の中に
でてゆく。
みんなで出て行っているのだ。
これはものをつくるひとたちがいつも
感じていることだと思う。
ひとりじゃなんもできないと
年々感じている。
もともとはひとりだけど。
何かをつくろうとしたら誰かの力が
支えになったりする。
graceのイントロの秘密をyaffleさんから
聴きながらわたしはロンリーラプソディの
歌詞のことも思い出していた。
ずっとひとりでかまわんわって
思っていた。
それはnote以前のわたしかもしれない。
いまでも仲良しごっこは嫌いだし
仲良しごっこは揶揄されたくない。
つるみたくないのですみっこぐらし
していたい。
だけどひとりひとりの点が集まって
線になるその沸き立つ気持ちも
大事だと感じられるようになった。
仕事をするたびにその向こう側に
たくさんの人たちを感じられる。
graceは遠い世界じゃなくて足元を
教えてくれる力があると思う。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊