大人になっても、食べるのがずっとおそかった。#コロッケ
たいていのことは遅いのだ。
こんなに速度が求められる時代にあって
わたしはすべてにおいて遅い。
この間、ロフトを整理していたら
通知表などと一緒に、幼稚園の
連絡帳もでてきた。
母が通信欄に悩みごとのような
ことを書いていた。
娘があまりにも食べるのが遅いんですが、
みなさんの迷惑になっていませんか? と。
母はそういう足並みを誰かとあわせる
みたいなことは苦手なタイプだと思って
いたけど。
どうやら、子育ての初めの頃は母から歩み
寄っていたことを知った。
幼稚園の担任だったしのはらたえこ先生は、
こう答えていらっしゃった。
わー、50分もかかっていたんかい!って。
しのはら先生が一生懸命母の
問いかけにこたえてくれている
ことがわかった。
ふつうは、もっと早く食べられるように、
みなさんと一緒に歩調をあわせましょう
となるところを。
今のままでいいので。
直に方法をみつけるでしょうからという、
しのはらたえこ先生の言葉は今
読んでいたらなんか、じんわりと温かい
気持ちになった。
この後の人生で、わたしは食べることが
早くなる方法をみつけないまま、大人に
なってしまうのだけれど。
ことあるごとに、食については人とペースを
あわせることを、意識しながら暮らしていた。
いつだったか、外注先でデザイナーの方と
昼食を定食屋さんでとることがあった。
島﨑さんは、いつもダメだしも速攻で厳しい
辛口の人だったし、速度がいのちのような方
だった。
言われる度に、リアクションして
反論はしていたけど、
それでも食事でもダメだしあるだろうなって
思っていた。
なので、かなりわたしは食べる速度をアップして、
むりしてコロッケ定食を食べた。
その時、彼が食事を終えた頃、あわてなくて
いいよ、のど詰めるよって言ってくれる声が
隣から聞こえた。
島﨑さん意外にやさしかった。
そう言ってもらえて、ほっとした。
あわててるのが、バレていたんだって
思ってバレてましたねっていったら、
思いっきりなっ! て笑って返してくれた。
自分の速度を守りながら、すべて食べ
終わった時に、定食屋さんの女将さんが、
「いやぁ、きれいに食べてくれはって。
作り甲斐があるわ」
って声をかけてくれた。
ちょっとはずかしかったけど。
そんなに味わって食べてくれるお客さんは、
はじめてよって、言葉にして頂いた。
さっきまで食べていたコロッケのあの
ジャガイモの甘さがじんわりと迫ってきて
なんか泣きそうな気持だった。
なんでも、さっさと速やかにこなせない
ことで、わたしは数々の迷惑をかけてきた
かもしれない。
あの時のしのはらたえこ先生が、早くしま
しょうと、急かさなかったことを今思い出す。
早く食べることよりも、一生懸命味わうことも
大切と教えてくれたことは、ほんとうに
ありがたい。
友達にも、どんなもんでも、
ぼんちゃん旨そうに食べるよな
って感心されたことがある。
なんか恥ずかしいの極みだけど。
でもそんなに悪い気はしない。
家庭では小さい頃、夕食になると勉強ができない
ことを叱られる時間だったので。
誰にも叱られずに、目の前のひとがにこにこ
して何かを一緒に食べていることが
うれしいのだと思う。
これは大げさに聞こえそうだけど。
一時期わたしは会食恐怖症になっていて。
人と食事するのが思いっきり怖かった。
仕事先でもいつも難儀していた。
今も新しい人との会食は苦手だったっりする。
でも大人になって人となにかをたべることの
楽しさをすこしずつ知るようになっていった。
それをゆっくり教えてくれたのは
昔つきあっていた彼だった。
そして食べることの楽しさを教えてくれた
のはもうあえなくなってしまった叔父だった
かもしれないことを、その頃思いだした。
左利き同士の叔父は仲間だなって
思っていた。
お箸の使い方も叔父に習った。
笑いながら、食事することも忘れかけていた
頃に叔父の姿が目に浮かんだ。
何を食べるかより、誰と食べるかということ
だと思う。
この4月から幼稚園に行くひとたちも、
あまり早く食べられないかもしれないけれど。
わたしにとってのしのはらたえこ先生の
ような先生に出会えるといいなって思う。
そして、おまけです。
わたしはこのタイトルの文芸雑誌が好きで
たまらなかった。
他人事とは思えなかったから。
vol7までで、終わってしまったけれど。
小説も短歌もエッセイもどれも言葉が
書き手の速度を守りながら書かれていて
とても好きだった。
好きだった短い歌をいくつかここに
置いておきます。
ゆっくりとお召し上がりください。
きみのすきな おいしいものが わたしの記憶
きみのすきな おいしいものを 供えてあげる