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父が描いた絵に、さよならの時の父の背中を思い出していた。

父親が定年してから、はじめたのは絵画だった。

昔から、絵を描いて暮らしてゆくのが、

夢だったらしく。

画家を目指したこともあったらしいけど。

暮らしていけないからと、医療従事者の

職業を選んだ。

今も週に何度かは勤務していて、

ずっと働いていた事業所の定年間際から

教室に通っていると、聞いていた。

絵画の先生が、寡黙だけど、なかなかええんや。

って言って。

じぶんでちゃんと描けていない時の理由が

どうしてもわからなくて聞きにいくと、

ずっと年下の先生は教えてくれるらしく。

手取り足取りじゃないところがいいなって

とっても気に入っているらしい。

父とは高校三年の頃から離れて暮らして

いたけど。

実家には画集が、本棚にたくさん並んで

いたのを覚えてる。

東山魁夷の画集はよく日曜日になると父は

ひとり眺めていた。

わたしにとって東山魁夷は、一般的な

知識しかないけれど。

東山さんがいつか、どうして人物を

描かないかのか? と聞かれた時に

描いている人も人だし、観て下さる人も

人なので。

絵には人はいらないんですよってインタビューで

答えていいらっしゃった言葉がわたしにとって

とても腑に落ちる言葉だった。

父は離れて暮らしているわたしにどう、

大丈夫? って時々電話を掛けてくるのだけど。

その会話の中で油彩画を書いているんだよって、

話が色濃くでるようになったのはここ数年だ。

そして時々カタチになったらそれを

ポストカードにして送ってきてくれる。


これは、すこし目指していた賞を

もらったものらしい。

ぼんちゃん、ビギナーズラックって

あるんやなって、うれしそうに話してくれた。

もう一枚仕上がったものがあったのだけど。

実際の絵とポストカードは色彩が

再現されていないって言って、気に入らない

みたいで。

職人さんのようなこだわりに

芽生えたらしい。

作り直してるんやっていって、わたしの

手元にはない。

その時に見た父の描いた2枚目の絵も、

一枚目の絵とおなじく、モチーフは「背中」

だった。

ルロワ=グーランという社会学者の方の

『身ぶりと言葉』でこんな文章に出会った。

四肢動物から二肢となった人間において、
背中は忘れ去られてしまって、定位置が
ないのだ。そのことをわたしたちは本質的に
認識しているのだろう。
絵画を見る視線が移ろいてしまう。

ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』

そうか、背中って定位置がないのかと、

ふしぎな気持ちになる。

四肢であったらてっぺんにあるのは

背中だけど、人になってから

大切なのは頭であって、背中ではなく

なったんだなって思いながら。

父が、絵のモチーフに背中を描くことを

選んだ理由はわからないけれど。

なんでなん? っていつか聞いてみたい。

背中が登場する小説で好きなものも

ちょっと調べてみた。

大好きな川上弘美さんの作品に何か

あったっけって思ったらあった。


家賃は格安で2万円。そのかわり、一匹だけ扶養義務を負うというのがこのアパートの決まり。動物は三種(猫と兎とぼくの知らない小さな生き物)。そのなかからぼくは三番目を選んだ。四つ足でなめらかな毛、耳が立っていて、目はぱっちりと大きい。背中に一対の小さな羽根をたたんでいる――ぼくは〈つばさ〉と名づけた。

川上弘美著・『ぼくの死体をよろしくたのむ』「大聖堂」より。

この背中は人じゃないけれど。

誰にも知られないような魅惑をたたえた

生き物の背中に著者が視線を注いでいることが

なんだかいい。

もうひとつ川上弘美さんから。


背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。

川上弘美著・『蛇を踏む』・「惜夜記」より。

ぞぞぞと、忘れられた背中という人間の部位も

少し怪しく輝いている。

恐ろしいのに心にしみてゆく。

父と会った後、駅まで送りに行く時に

いつも見ているのは父の背中だなって

思った。

あのポストカードを見ながら、あそこに

描かれているのは父ではないのに

あの数人の背中をみていると、その中の

ひとりがなぜか父の背中にも見えてくる。

まだわたしが小さかった頃の

いってらっしゃいの時の背中だったり。

けんかして駅まで送りにいったときの、

もう話ししたくないって思った時の

怒ったままの背中だったり。

最近、さよならしたときの駅からフェード

アウトする父の後姿だったりする。

誰かの背中って、見ている人の視線と

記憶がはりついている場所なんだなって。

そして、

父とサヨナラの時に覚えているのは

父の背中だけのような気がしていた。





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