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自慢史観でも自虐史観でもない、東京裁判の評価-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」


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自慢史観でも自虐史観でもない、東京裁判の評価-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」

というわけで、今回は東京裁判なんだが・・・。

東京裁判については、日本でも議論があるよね。

諸外国からみたら、どうなのか、という話は一応置いといて、自慢史観(注:ボクの造語)は、どう言ってるの?

わかりやすく言えば、東京裁判は言わば戦勝国の「集団リンチ」みたいなもので、国際法学者のパール判事が言うように「全員無罪」のはずが、戦犯にされちゃった、みたいな感じ?(「集団リンチ」はたぶん小林よしのりが作った表現)

一方の自虐史観は?

わかりやすく言えば、東京裁判で戦犯にされた人は、戦争責任を問われるべき人たちだったのだから、戦犯とされたことに対しては重く受け止めるべきだ、みたいな感じ??

で、自慢史観でもない、自虐史観でもない、この本は、どういう書き方してるの?

やはり、中間的な評価に立っている。

一言でいえば?

たとえば、こういう書き方かな?

実態は政治的セレモニーだった「東京裁判」

本書265頁より

「政治的セレモニー」ね。裁判じゃないといいたいのかな?

ちょっとわからんけど、まあ、「集団リンチ」みたいな過激な表現を使ってないところと、裁判の正当性を否定してそうなところは、中間的な評価なのかもしれないよね?

つまり、自慢史観と自虐史観、両方を折衷してるんだね?

うーん、たぶん、そうかな?

具体的にはどう書いてるの?

一応、まとめみたいな箇所はある。ちょっと長いけれど、読んでみてほしい。

 以上のように、東京裁判は当時の国際法に基づく公正な「国際法廷」とは言えず、戦後の早い段階から「一方的で不当な勝者の裁き」ではないのか、という声が海外でも国内でも沸き起こりました。
 しかし、戦勝国の「人道に対する罪」が裁かれていないから「当時の日本に罪はない」という論理が成立するはずもなく、仮に不公平な裁判であったとしても、日本の戦争指導部が戦前・戦中に行った行動の責任が消えるわけではありませんでした。

本書272頁より

うーん、たしかに、中間的な評価だね。

でも、戦争責任を結局認めるような書き方してるから、どちらかというと、自虐史観の人が喜びそうな書き方してるんじゃないの?

うーん、よくわかんないけれど、そういう見方もできるかなぁ??

というわけで、今回は、東京裁判についてお勉強したわけだけど、どうだったんだろうね?

まあ、もはや、「アナタはどう思いますか?」という世界じゃないかなと思うよ。

今回の対話も、意義があったと思いたいよね。

そーだね!(笑)

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