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「そのままにする」技術②

「そのままにする」ことが正解の時

手放した途端に自分の気持ちが軽くなったり、抱えていた時より明らかに話が進むようになる、そんな体験をしたことはないですか?
「しょうがないか…」と明らめた瞬間に、あれよあれよと世の中の方から歯車を回してくれるような感覚ですね(もちろん歯車が動き始めるタイミングは不明です)
「こだわらなくて良かったんだ」「こっちの方が人生の視野が広くなって、楽しい」など微々たる感覚かもしれませんが、そのように思う場合は「そのままにする」ことが上手く機能しているといえるかもしれません。

ギコギコどこ連れてってくれるんやろ

諦める=明らめる

個人的にタイトルの蝶の画像、結構お気に入りなんです。といいますのも、「明らめる」という言葉をよく表現してくれているからなんです。「諦める」というと「ギブアップ、もう無理!」という少々ネガティブなイメージが強いかと思います。(個人的には「向き合うべきものを気持ちの弱さから放り出す」割りと辛辣めなマイ定義があります)
しかし、語源を調べてみるとこのマイ定義クソ嘘だったみたいです。

諦めるとは道理/真理を明らかにして手放す

かっこいいですね、そもそもネガティブに偏った言葉ではないようです。人は自分が抱えていることや見えているものに対してどこまで理解しているのでしょうか。例えば、「努力をすれば何事も叶う」とか聞きますが、これはどこまで世界の真理なのですかね。呼吸するたび思い込みや勝手な信念を発生させている私達の脳ですので、見えているつもりでも、分かっているつもりでも、実際にはそうでないことが往々にしてあり、それらを理解することが明らめるという意味には入っているそうです。

人生のルールは自分で説明書を作らなあかんから大変なのよ

人生に限らず、ルールを理解することは物事を楽しむ上で必須です。ルールがあるからこそ、私達は苦労を感じ、その苦労を少しでも軽減する具体的な対策を思考したり、その対策を実行しているプロセスに充実感を感じることができるのです。
その一方で、人生においてルールを理解せず、無視することは、生きづらさを誘発する一因となりゆるかと思います。
例えば、上記の蝶が自身のサナギの姿に拘っていたとして「ずっとサナギが良かった…」と願い続けるのは、蝶の今後の人生にとって地獄でしょう。この生きづらさを解消するには「もうサナギに戻れない」ことを認め、また「戻る必要がない」理由を蝶が自分の中で見出していくことです。

「なんでサナギのままおりたかったん?」
「羽映えたから絶対飛ばなあかんっておもったん?」


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