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ハードボイルド書店員日記【133】

「フェアをやろうと思うんです」

もはや春ではない金曜の昼。カウンター内に小型扇風機が設置された。まだ必要ないと感じたが、民主主義的な手続きを経て決まったから受け入れる。数日後に実施される何かの結果と同じく。

お客さんの流れが途切れる。ホッチキスの針やビニール袋を補充した。横のレジで文庫担当の女性がA4サイズの紙へ視線を落とす。「どんなフェア?」「短編小説です」「日本の?」「国内翻訳を問わず、ジャンルの壁も取っ払う方向で考えています」「ほう」「ただただ面白い本をお客さんに紹介したくて。すべてに手書きのPOPを付けるつもりです」頭の中でカポーティ「夜の樹」の横に東野圭吾「歪笑小説」を並べた。悪くない。

「楽しみだな」「そこで先輩にオススメの本を教えてほしくて」「そのリストが現状のラインナップ?」「ここから増やしたり削ったりして二十前後を想定しています。多過ぎても注意が分散しちゃうし」絞りに絞った二十冊。しかも本部や版元主導ではない。目の肥えたお客さんから選書の熟練度を測られる試み。

一読した。

「どうですか?」「素晴らしい。ただ」「ただ?」「各作家一冊ずつの方が選び抜いた感と担当の好みがより伝わる」伊坂幸太郎の作品がふたつ入っていたのだ。「でも『チルドレン』と『死神の精度』両方とも名作なんですよね」「わかる」「先輩ならどちらに」「俺が決めるの?」断腸。初めてその言葉の意味を知った。

「あとは?」「ヘミングウェイはたしかに新潮文庫の『全短編集』がスタンダードだろう。ただ入り口としては、西崎憲の訳したちくま文庫の方が適している」「わかりました。ぶっちゃけ読んでない作家なので助かります」既読本だけを推せなんてルールは存在しない。もちろん読んでいるに越したことはない。POPを添えるならなおさらだ。

外国人や雑誌の予約を希望する年配の方の対応に追われ、しばし中断する。マスクをしている人がだいぶ減った。我々も時間の問題だろう。

「さっきのお客さん、村上春樹の小説の英語版を探してました」「外国の人?」「ええ」洋書は置いていない。「やっぱり春樹さんは人気ありますね。フェアに『女のいない男たち』を入れましょうか?」「いや、彼は初期の方が意外性がある。こんなのを書いてたのかって」「じゃあ『カンガルー日和』とか」「もしくは初の短編集である『中国行きのスロウ・ボート』だな」「あれが初なんですか?」「収録数も6話だから、春樹デビューする人に重くない」「なんだか大学デビューみたい」「大学デビュー?」「なんでもないです」

だいたい定まった。「すいません、いろいろ協力してもらって」「いや普通に楽しい」「そう言ってもらえると助かります。じゃあ最後にもうひとつ」「どうぞ」「先輩がこのフェアをやるとして、真っ先に選ぶ作品を教えてください」「ドラフト1位の発表か」「難しかったら明日まで待ちます」「いや決めた。というか決まってる。最初から」カウンターを出た。

「これだな」ハヤカワ文庫の「九マイルは遠すぎる」を手渡す。「ミステリィですよね」「ああ」「このタイトルは短編集の題ってだけですか? それとも」「表題作の題でもある」「どういう意味だろう」「気になる?」「そりゃなりますよ」頭の中で19ページを開く。

「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない。ましてや雨の中となるとなおさらだ」

首を傾げている。「作中のセリフですよね」「どう思う?」「さっぱりわかりません。でも興味あります。きっと深い意味が」「だったらそのまま買うことを勧める」「え?」「これはそういう本だ。何も調べなくていい」「わかりました。後で購入します。フェアで紹介する本はなるべく読んでおきたいから」真面目な姿勢は素晴らしい。だが。「義務感でこなしたらもったいない。俺たちは書評家じゃないんだ。お客さんを代表してフラゲするつもりで」視線を感じた。「大学デビューは知らなくてもフラゲは使うんですね」「うん」としか言えない。

「ところで著者のハリイ・ケメルマンって他にどんな作品を」「わからない。新刊書店ではこれ以外入手できないから」「一発屋ですか?」「ラビはなんとかってシリーズを出していたから違うだろう。だが仮にそうだとしても一発を当てて死後も作品が残り、世界中の人に読まれている。とんでもない偉業だよ」本音だった。一冊でいいから本を出したい。百年後の本屋がどういう業態になっているか知らないが、せめて棚の片隅に残っていてほしい。

一冊の本を書くのは容易じゃない。ましてや書店で長く置いてもらうとなるとなおさらだ。

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