見出し画像

ハードボイルド書店員日記【153】

「最新作ですか?」

年配の女性が絵本をカウンターに置く。「パンどろぼうとほっかほっカー」だ。「13日に発売されました」「ありがとう。ではこちらをください」同じ年恰好の男性が横から顔を覗かせる。「こんな題の本、他にもあるよね?」「パンどろぼう、ですか?」「そうそう」「同じシリーズの既刊なら当店にもいくつか」2020年4月に「パンどろぼう」が発売されて以来、絵本はこれが5冊目だ。たしかレシピ本やぬいぐるみポーチパスケースの入ったムックも併売している。

「違う作家なんだよ。近所の図書館でずいぶん前に読んだ」「絵本ですか?」「たぶん。絵が入ってたから」自信なさげに首を傾げている。

「もういいでしょ。店員さん困ってるじゃない」「ああそうだね。ゴメン」窘められて背中を丸めている。「図書館ということは児童書のコーナーでご覧に?」「いや、いつも行く文芸書の棚で」「そんなわけないでしょ。絵本ならちゃんと絵本のところに」「ぼくの勘違いかもしれない」「いや」レジを打つ手を止め、考えを巡らす。「あり得ますよ」

「たとえばバンド・デシネなら、作品によっては文芸書のコーナーに置くこともございます」「バンド・デシネ?」「フランスの漫画よね。日本のコミックよりも少しアート寄りな」「へえ」夫婦の力関係が垣間見える。「当店でも、海外文学の棚にカミュ『異邦人』のバンド・デシネが」「あれだ。人を殺しておいて、太陽がいっぱいでいい気分みたいな」「それはまったく別の作品よ」「そうだっけ。店員さんわかる?」「パトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』かと。アロン・ドロン主演で映画に」「ほら、私の言う通りでしょ」男性が頭を掻く。頬の内側を噛んでどうにか堪えた。

「で、何の話だっけ?」「あなたの探している絵本がなぜ図書館の文芸書コーナーにあったかって話」「つまり『異邦人』みたいな名作文学のコミック版や絵本版なら」ある本の表紙が頭に浮かぶ。「すいません。会計を終えてからサービスカウンターに移っていただいてもよろしいですか?」

椅子に座ってもらった。PCのキーを叩き、表紙の画像を示す。「こちらではないでしょうか?」「これだ! 間違いない」男性が目を細めて画面を覗き込み、声を上げた。「あなた、そんな大声出したら」「ありがとう! 在庫ある?」「申し訳ございません」「変なタイトルねえ。『パン屋を襲う』ってどういう意味?」ネタバレは申し訳ないのでやんわり流した。「村上春樹ってこういうのも書いてたのね」「割と初期の短編です。ちなみにこの本にはドイツの画家が描いたイラストが頻繁に登場します」「だから絵本だと思ったわけね」隣でうんうん頷いている。

「本書には続編も収められています」「あらそう。なんてタイトル?」「『再びパン屋を襲う』です」とたんに奥様が顔を伏せ、口元を押さえた。「そのまんまだねえ。ああ、だからこの帯も」御主人は腕を組み、なぜか感心している。帯の文面は以下の通り。

「殺っちまおう」と相棒は言い、「もう一度襲うのよ」と妻は言った。

「ずいぶん物騒ねえ」「パンどろぼうだって物騒だよ」「まあそうだけど」「記念に取り寄せをお願いしようか」「買うの?」「『もう一度読むんだよ』と夫は言った」誰も何も言わない。「……頼みます」「かしこまりました。伝票をお作りします」何の記念かは訊かなかった。

結婚するのも悪くない。久し振りにそう思った。

この記事が参加している募集

推薦図書

私の作品紹介

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!