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ビールを注ぎながらビールを継ぐ「麦酒伝道師」を目指しています重富です。今日は「日本の麦酒歴史ができてから」をちょっとお休みして別の記事を書いてみようと思います。前回の記事で北海道での上映会を書きましたが、広島に帰ってきて数日後に、東京に向かいました。

【過去投稿】日本の麦酒歴史ができるまで                開拓使麦酒仕立て 番外編 できてから        

生ビール大學

重富の本業は酒屋ですが、夕方倉庫の一角を改造した3坪ほどのスペースでビールスタンド重富。そこで夕方2時間だけビールを注いでいます。また飲食店さん向けに「生ビール大學」を開校しています。これまでに受講いただいた方は千名を超えるかなと思います。今コロナ禍で開催ができていませんが、これを機に内容を構築しなおしています。 
生ビール大學実施要項(案) ⇩

東京へ

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お土産はいつも、やまだ屋さんの桐葉菓(とうようか)です。

今回ご依頼を頂いたのは、日本橋三四四会(みよしかい)さんです。

当会は、昭和34年4月に日本橋料理飲食業組合の青年部として発足。スタートの日時にちなみ、「三四四(みよし)会」と名づけられました。以来五十余年、東京・日本橋に根ざした活動を積み重ねながら、真摯に料理づくりに励むことで日本橋の味を守り、会員間の交流の輪を広げてまいりました。また、近年は地域のさまざまな活動に積極的に参加し、地域の活性化という課題にも前向きに取り組んでいます。(Webより)

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お引き受けした後で、三四四会さんの事を調べて、私の様な田舎者が講義をするとは恐れ多い感じが、日に日に強まっていきます。会長の湧井さんのご要望で今回講師をお引き受けいたしました。以前、ご挨拶に店舗にご挨拶に伺ったことがあります。

創業は寛政年間(1800年)200年の伝統の味を受け継ぐ日本橋を代表する老舗さんです。風格ある玄関から階段をあがり、お座敷に通されました。なにを注文してよいかわからず、他の方が選ばれた品を頂きました。

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写真ではわかりませんが、鰻を食べ進めていくと下からまた鰻が出てきます。美味しかったのですが、緊張の方が勝っていました。

アサヒビール本社

会場は、スカイツリーが見えるアサヒビール本社さん。開催場所だけでも緊張します。今回の会場は、前回アサヒビール社さんのスタッフさん向けに「生ビール大學」を開校させていただきましたので、使い勝手はわかってはいるのですが‥どんな方が受講されるのかの名簿を事前に頂いていたせいで、余計に緊張してしまいました。広島にいる重富でさえも、聞いたことがある店名がいくつもあるのです。

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事前に送ったスイングカランを設置し、ご用意ただいたグラスを全部手洗い。1時間も早く準備は終わってしまいましたので、アサヒビールさんの担当者さんに「日本の麦酒歴史」を見ていただきました(笑)

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内容は、セミナーよりも、実際に試飲や注ぎの体験を中心に進めました。当初は参加された皆さんも少し緊張されていましたが、試飲が進むにつれてとてもいい雰囲気で大學は進みました。一番緊張していたのは重富です。

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開始当初は、どうなることかと心配でしたが、皆さんの気さくな笑顔で無事に終える事ができました。終了後「懇親会」にお誘いいただきました。
大學の片付けに1時間弱かかり懇親会会場に駆けつけました。浅草雷門そばの「すき焼ちんや」さんです。

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⇧フランス語です(もちろん日本語・英語もあります)

懇親会

大変申し訳ない事に、重富の到着を皆さんで待っておられました。恐縮です。会長の隣の席に座り、会長のご挨拶のあとに「宴」が始まります。もちろんすき焼きです。

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講師冥利につきます。多くの方と名刺交換やお話をさせていただきました。皆さんから、いつでも食べに来てくださいね。とお声掛けいただきましたが…なかなか気軽に行ける店ではないのです。

多くのかたが、お肉の「おかわり」を注文されていました。会計の都合だと思いますが「おかわり」は現金払いだったのですが…

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お肉1皿 ○○○○○円でした‥ (重富には手が出ません)
テーブルにはこのお肉の生育歴がかかれた紙があります。
三四四会さんは、若旦那さん達の会です。宴が盛り上がってきたところに、綺麗な着物のお姉さんが2名お越しになられました。懇親会とは言え、勉強会の「打ち上げ」に芸者さんを呼ぶ?? さすが日本橋の若旦那さん達の会だとなぁと、なお一層感心しました。

ちんやさんの若旦那さんがこんな事をお話されました。

最近のお客様は外国の方も多く「赤ワイン」を注文する方が増えてきました。しかし、赤ワインと生卵はあまり相性がよくありません。そこでいろいろ試行錯誤した結果、生卵にスプーン1杯のあるモノを加える事で、赤ワインに合うことがわかりました。

一応、重富はソムリエの資格を持っていますが、思いもつかない食材を加える事でした。本当に勉強されておられるのだなと思いました。
今回重富が講師の勉強会でしたが三四四会さんでは年に何回も「勉強会」を開催されておられます。また、地域での活動も精力的に行われています。

コロナ禍の中、医療従事者の方にお弁当を届けられています

美味しいお肉とビールに、お姉さんから注がれた日本酒でかなり出来上がっている重富はとても失礼な発言をします。

大変失礼な発言

ちんやさんの若旦那さんにこう言ってしました。

老舗の若旦那さんって、いつも遊びまくっているイメージが強いのですが、勉強もされているのですね…と。

ちんさの若旦那さんはこう答えてくださいました。

重富さん、しっかり勉強して時代の変化に合わせ日々進化していかないと、生き残れませんよ。と優しくそして、力強く話してくださいました。

時代の変化に合わせて日々進化するとは、目新しい事や、斬新な切り口ということではなく「すき焼」という「」を、時代という栄養で「太く」していくことなのではないかと考えました。
※ちんやさんの若旦那さんは、慶応卒で金時計だそうです。

日本橋で100年200年「継ぐ」ということ「継ぎつづける」ということ

それは、仕事は一流。地域貢献も一流。遊びは超一流ということ。
それが日本橋なのかもしれません。

三四四会60周年

三四四会さん平成31年に「60周年」を迎えられました。おめでとうございます。その記念誌をいただきました。重富もその60年の歴史にちょっとだけお手伝いをさせて頂き光栄です。

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今日はここまでです。

その後皆さんは二次会に流れて行かれました。重富はどこに行かれるのか興味はありましたが、講師はここで消えるのが「」だと感じて失礼させていただきました。
重富は「ビールぎ」だけではなく「ビールぎ」になりたいのです。
「すき焼ちんや」さん。重富が現在調べているビヤホールの歴史の中にでてきました。

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「私とニユートーキヨー」より 海岸要吉著