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日本の麦酒歴史ができるまで ⑫

麦酒伝道師を目指している重富です。
北海道での6泊7日の撮影旅行が終了しました。こんなにも長く会社を留守にしてしまいましたが、弊社スタッフ一同に感謝しています。
#お土産代をかなり奮発しました

あと、撮影予定は、東京・神奈川・新潟を予定しています。

佐々木リョウ

【過去投稿】日本の麦酒歴史ができるまで             開拓使麦酒仕立て 

上映会告知

東京での撮影は映画の冒頭のシーンからです。日本に現存する最古のビヤホール。ビヤホールライオン銀座七丁目店。 ここには日本一と言われる「ビール注ぎ手」がスイングカランでビールを提供されています。

ライオンの広報さんにお手伝いいただき、店舗前や店舗内で撮影します。営業前とはいえ、スタッフさんが開店準備をされている合間をぬっての撮影です。北海道で、少しは撮影の「だんどり」的なことは分かってきました。業界用語も(笑)

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実は、このシーンの撮影前に「セリフ」は考えていませんでした。自分の気持ちで話そうと思っていたからです。監督が上げた手をおろしました。そこから2秒待って演技の開始です。どうなることかと思っていましたが、自然にセリフが出てきました。台本を書かなかったことで、かなり不安はありましたが、この映画でなにを語りたかったのか? その事がセリフになったようです。セリフ終わりに監督からある動きを指示されていました。セリフはNGではなかったのですが、最後の監督の指示動きでNG!この動きがちょっと大変だったのですが…オープニングのセリフ終わりの重富の動きをご注目くださいね。あと、中盤に重富が座っている「席」にも重要な歴史があります。その「席」についてはエンドロールで説明していますので、最後までご覧くださいね。

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その後、重富は別件の仕事の為、今日の撮影はここまでです。

別日は青山学園からのスタートです。このあたり、前職のニッカウヰスキーの本社ビルに通勤していた時によく歩いた場所です。その当時冬になるとおでんの屋台があったな…などど思い出しながら正門前に。
当初、開門時間に警備員さんが扉を開けるタイミングで撮影開始「一発撮り」の予定だったのですが、警備員さんの開門時間に準備が間に合いませんでした。さすがに、もう一度門を閉めてください。とは言えず…撮影開始。

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北海道での撮影は2月の中旬、一番寒い時期でしたが、東京の撮影は真夏です。映画の一貫性を持たせるために、重富のスーツ&ネクタイは全部同じものをつかっています。ベースは「冬モノ」なので…汗だくになります。そのためにもNGを出したくないのですが…NGの度に汗拭きシートの出番です。
汗を拭くのもAD重富の仕事です。

次の撮影場所には、歩いても行けるのですが…暑いので、汗をかきたくないのでタクシーで移動しました。

青山霊園に到着です。事務所に挨拶をして撮影の確認です。墓所での撮影は、管理者(お墓の持ち主的な)の許可が必要とのことで、事務所の方で連絡をとって許可を取っていただいています。墓所での撮影は当初1か所だけの撮影予定だったのですが、撮影許可の為に台本を送りました。その台本を読まれた事務所の方が、もう1人の方の墓所もありますよ。お墓の管理者の方に許可を頂きましょうか?と神対応していただきました。

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この映画には3人の重要人物が登場します。その2名の墓所があるのがこの青山霊園です。あと1人の墓所はどこにあるのでしょうか?探していませんね。
#今できるまでを書いていて気が付く
この後、監督は仕事のためカメラマン2人で移動します。

実は…当初半年で撮影して、1年以内の上映を考えていました。監督とカメラマンが大学4年生だったからです。撮影が1年押しています。なぜか??これは撮影後のライブ配信でお話ししたいと思います(笑) 1年の製作予定が2年になっていたのですが、これが結果として大正解だったのです。(これもライブ後配信で)

その後はビヤホールライオン銀座七丁目店で、スイングカランの取材です。重富が「師」と仰ぐ海老原清さん。ビールを注ぐシーンの撮影と、1時間近くインタビューをさせていただきました。話の中でたくさん大切なことを伺いました。このスイングカランの取材は「訪ねるスイングカラン」として随時公開していこうと思います。

別日に横浜市役所でカメラマンと待ち合わせ。なぜ横浜市役所かといいますと…撮影許可申請の為です(AD重富のお仕事)。許可申請・撮影料の振り込みを終えます。天気予報では、雨が降る時間が少し早まってきそうです。さすがに雨が降ると撮影が難しくなります。すべての段取りを速め、昼食も急いで食べて撮影場所に移動します。今日も監督はお仕事です。

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キリン園公園です。キリン?と聞いて皆さん思い浮かべることがあると思いますよね…

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キリン園公園の「キリン」は、キリンビールで正解です!
この場所に、キリンビール工場があったのです。映画には出てきませんが、すぐそばの小学校には、その当時ビール醸造に使用した「井戸」を見ることができます。

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その前にある坂道を「ビヤザケ通り」と呼ばれています。

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赤丸のあたりに「井戸」があります(小学校の外から見ることができます)

ビール井戸の前をどんどん地図上の上方面に進むと港の見える丘公園があります。次の撮影場所はここです。まず、撮影場所を探します。いくつか候補はあったので、カメラマンと全部見て回りました。どれも甲乙つけがたいのです。こういうとき監督がいれば「ココ」と即決するのですが、男二人ではなかなか決めることができません。なんとか場所を設定して撮影開始です。監督であれば「ダメ!」と速攻でNG宣言なのですが…今回カメラマンは恐る恐るNG出しです(笑) 雨も降りそうなので、撮影は巻き巻きで進めなければなりません。

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次の芝公園に移動するのにバスを発見しました。桜木町行きです。ラッキーとばかりなにも考えずに乗り込みました。

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桜木町は、そこまで遠くはないのですが、体力温存の大義名分です。しかし、いっこうに到着する気配がありません。横浜マリンタワーを過ぎ、大さん橋を経由し…そうなのです。とても大回りで桜木町に着くコースなのです。急いで、路線アプリで芝公園の到着時間を調べます「間に合わない」!

でもカメラマンが調べたアプリでは「間に合う」なのです。何故?と悩んでいると、重富さん歩くスピードどうなっています。とカメラマン。なに?その歩くスピード。重富は「すこしゆっくり」カメラマンは「急いで」の設定でした。 (大発見です!)

そんなこんなで、芝公園には無事到着しました。
まずは、増上寺さんで撮影。事務所の方もお坊さんでした(笑)

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ここでも、撮影場所を決定するのにかなりの時間を要してしまいました。
増上寺という場所がわかれば良いのですが…140年前と現代を融合させるイメージでこの場所に決定です。撮影後もある変化を撮影するために、カメラを数十分回しっぱなしにしてあります。

もう1か所撮影があります。もう雨が今にも振り出しそうです。
芝公園の事務所で、撮影許可と、許可用の旗がついた棒を預かります。事務所から撮影場所は、公園の端と端です。急いで現場に向かいます。雨がポツポツ降り始めました。やばい、これはNGだしたら、ずぶ濡れになる。
それでも、数回撮影しなおしました。終了と共に雨が本降りに。セーフです。天は我に味方した(笑)

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雨は容赦なく降っています。事務所で許可グッズを返却し、打ち上げ(今日の撮影の)と称して、七丁目で乾杯です。そこで、あるシーンの撮影場所を思いつきます。ビアライゼ98さん。そこで使うための小道具が必要です。サッポロラガーの大ビン(空瓶でも可)。ここはライオンさんのビルです。当時大日本麦酒の本社があった場所です。ホールのスタッフさんに聞いてみましたが、このビルの店舗には置いてないそうです。
たまたま、そばの席にいらっしゃったサッポロビールさんに聞いてみたところ、有楽町の居酒屋さんで扱いがあるとの事です。

急いで、カメラマンとその店舗に向かいました。ガード下の味わいのある良い感じのお店でした。そのおかみさんに訳を話して、空瓶を1本いただくことができました(感謝)

今日はここまでです。

その空瓶で撮影したのが、こちらもスイングカラン設置店「二度注ぎ」の名店ビアライゼ98さんです。(松尾オーナーに感謝)

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松尾さんとは、アサヒビールさんの冊子でご一緒させていただきました。

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