なんのへんてつもない白菜の重蒸しこそ奥深い 《頭の悪いレシピをばひとつ》
11月にはいってから急に寒いし、豚肉食べたいし、野菜もたっぷり食べたいし、白菜はひとたま転がっているし(台所に)……というわけで、白菜の重蒸しをつくりました。
フライパンに白菜のくきを敷いて、豚肉をひろげて、また白菜を敷いて、豚肉をひろげて、最後に白菜の葉っぱをのせて、ちょっとだけ水を入れて、ふたをして、焦げないように火加減だけは気をつけて、蒸し煮しただけ。
めんどくさいからだしの素とか塩とかも使わずに、素材オンリーでつくります。
蒸しあがったら、コンソメや牛乳で洋風にしあげてもいいし、胡麻油やオイスターソースで中華風にしあげてもいいし、どうとでもなるんだけど、結局はふだん使いの器に取り分けて、柚子と醤油を直にかけて、はふはふしながら食べるのがいちばんいいや!、ってことに落ち着くのが日本人だなぁ……なんて思いながら、七味だけはちょっとふって食べてました。
この日はたまたま紫白菜があったので、生を刻んで彩りにトッピング。おおっ!これだけで見た目がぐっと引き立ちます。
さらに、千切りに刻んだ柚子の皮の黄色が入ったら……見た目も香りも華やいで、おもてなしにぴったりかもしれません。
・◇・◇・◇・
白菜の重蒸しは、たったこれっぽっちの誰でも作れる家庭料理で、素材も手間も切り詰められています。
だから、
単純、簡単、2素材で出来る、手抜き、ズボラ、白菜大量消費、時短、手間要らず、初心者でもOK!
……こんな風な鉄板キャッチフレーズがもれなくついてきます。
白菜の重蒸しは、「自分が楽できる」ところだけを注目され、料理としては軽く見られがちでした。だけど、それはあさはかなとらえかただったようです。
手間や素材が「切り詰められている」ことや、「《盛ろう》と思えばいくらでも盛れるしどこへでも行ける」こと、「でもやっぱり《盛らない》でいいや。だってそのほうが美味しいんだもの」ってなっちゃって、きりりとした味わいに行き着いてしまうこと。
全部が全部、日本的。
この単純極まりない一品で、日本の美意識とはどんなものか説明できてしまえそうで、身震いすらします。
それゆえに、器にしろ、トッピングにしろ、味に変化をつけるにしろ、なにかを取り合わせるにしろ。
やりすぎずに切り上げる手腕が要求される、まるで居合のような料理であることに気がつきました。
白菜の重蒸しは、まぎれもなく、日本文化の血を引いています。
・◇・◇・◇・
なぁんてねっ。
かしこそうなこと書いちゃったけど、残り汁と食べ残しはフライパンのなかでザクザク切って(キッチンばさみで)、水を足して、青ねぎとわかめを足して、お味噌汁にして食べちゃった。
こんな風に、後始末がきれいなのも、やっぱり日本的です。
白菜の重蒸し、げにも、あっぱれ!
《頭の悪いレシピ》のマガジンもあります。
#ライフスタイル #レシピ #簡単レシピ #大量消費 #旬 #日記 #エッセイ #コラム #料理 #食 #野菜 #アレルギー7品目不使用 #手抜き #手抜き料理 #フライパン #ずぼら #ズボラ #ズボラ飯 #ずぼら料理 #白菜 #豚肉 #日本 #冬
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。