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「依存」とは不健全な「快楽」であり、苦しみだと勘違いしてしまうような感情に快感を抱いてしまっていることなのかもしれない
精神疾患の感覚からは解放されているけれど、憂鬱にはなる。
仕事は決まらないし、やりたことはみえないし、お金の心配もあるし、不安だらけなのだと思う。
母がお金をくれたり、おいしい果物を送ってくれたり、私のためになにかをしてくれたことを思い出して、せつなくて苦しくなる。
おなか、胃、胸のあたりが、ぐわ〰っとなって、頭に緊張がはしって、目頭が熱くなり、涙があふれてとまらなくなる。
もう自分のこと
共依存には「すがすがしい好き」がないんだってばよ。のお話し
私は自分が母親と共依存に陥っているという認識を持つことはなかった。
問題は「相手」にあるのだと思っていた。
人間関係がうまくいかないのは、すべて「相手側」に問題があるのだと思っていた。
他人を変えることはできない。変えることができるのは自分だけ。
その言葉が「わかっている」と思い込んでいた私が、問題は「相手」にあると思っていた。
一生懸命努力しているのに、うまく物事がすすまない。そんなと
恨みを解放できたらいいのにな。のステージまできたのかな。
精神疾患から回復したなー。(わけもわからず大泣きしなくなった。あぁぁぁぁぁぁ!って脳が混乱しなくなった。いきなり全身痛とか起きなくなった。過呼吸にならなくなった。不安でいてもたってもいられないってことがなくなった。)って思って、精神的に落ち着けるようになって、
1年半の壮絶な、のたうちまわっていたときの記憶がリアルで体感として思い出せなくなった。
いま、就職活動をはじめたのだけれど、じぇんじぇ
「自分で世界を創造できる」ってこういうことなのかな。
精神疾患から回復するときなんだな〰となんとなく自分が感じる1,2か月前くらいから、いろんなことに気付かせてくれたり、教えてくれたりする夢をみるようになった。
夢の中で、たくさん教えてもらったりするのだけれど、起きてしばらくするとすべて忘れてしまう。
本などには書き留めておくよーに!なんて書いてあるのだけれど、私は顕在意識よりも潜在意識がわかってくれればそれでいいや。と思い、なんとなく忘れること
「回復」からの「忘却」というご褒美
精神疾患を含む病気というものすべて、回復後にはその苦しみの忘去というギフトがついてくると思った。
私は昨年の1月末退職以降、いきなり身体が重すぎてベッドで身動きひとつとれないという状況に陥り、なんか、たくさんもがき苦しんだ。
あれは統合失調症というやつなのかもしれない。
幼馴染と会った時の帰り際、責められるような言葉を言われたと感じ、苦しくなってベッドに横たわると、ごぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ
精神疾患になった理由と回復までの道のり
私は、母親の「理想の娘像」で固められて育った。
母親が理想とする、「みんなと仲良しのやさしい文系の女の子」になるように。
私は「私以外のもの」にならないと生きていけない人生を歩んだ。
客観的にどうみても、私は算数と数学が得意だった。
でも「理想の娘像」は文系だった。だから、国語が得意なのだと決めつけられた。
体育はそこそこ走るのも早く、球技もそこそこ得意だった。
でも「理想の娘像」は運
自分が変わる覚悟が必要なんじゃない。自分と向き合う覚悟が必要なんだ。
よく、自己啓発のコーチングとかセミナーの勧誘文に
「本当に変わる覚悟がある人だけ参加してください」
という文言を目にする。
私は自分の人生をよくしたかったから、変わる方法さえ教えてもらえるのであればいくらでも変わる覚悟なんてあるよ!と思っていた。
これが、そもそも大きな勘違いを起こすのだと思う。
「変わる覚悟」なんていう言葉を使う人たちは基本自己受容ができていない人なのではないかと、いま
我慢していることに気付けない
心療内科でアサーティブについての勉強を受けている。
うまく意思表示をできることを目的に少しずついろんな学び、気付きを得ていくことが目的なのだと思う。
そもそも、「自分がどう感じているのか」ということを知ることから何事も始まっている気がする。
これまでのやり方を変える知識を得ていると、自分の中の何かが私に語りかける。
このアサーティブの訓練を受けていると、また、いきなり数日疲労と全身痛で動け
母親との共依存を手放して「アタリマエ」を知る。その先の「阿呆の血のしからしむるところ」
私のすべての苦しみの根源は「母親との共依存」にあったことに気付いた。
私は、母親との問題は「母親が問題のある人」であることなのだと思っていた。
問題は「私が母親と共依存に陥っている」ことであった。
私が、問題だったのだと気付いた。
母親との共依存を断ち切る。
母親にもう私が共依存を断ち切ることができたと思うまで連絡しないと伝えた。身を切られるような壮絶な苦しみがあった。高齢の母親は元気と
心の傷も白髪もヴィンテージの証
グループリワークをうけていることで、自分のこれまでの「異常」に自発的に気付くようになってきた。
自分に焦点をあてず、与えられた課題に取り組むことで、自分の「異常」に気付く。
グループワークって素晴らしいと思う。
グループワークを受けたあと、大きな変化が訪れる。
母親に私は現状を伝えていた。理解してほしいという気持ちもあったのだと思うけれど、私は自分がつらいということを伝えていなかったので、
自分がどうしたいのかわからないって洗脳されてるんだってばよ。という話
グループカウンセリングってすごい。
これまで15年ほどスピ系に強く傾倒していて、いくらお金をかけたかわからない。一回のカウンセリングが3万円なんてざらで、30万円のコーチングも受けてるし、シータヒーリングの基礎、応用も受けているし、本もたくさん買っている。
いま、やっと気付く。
依存性の高い、現状から回復しづらくなるシステムほど高額であるということを。
編み物教室とか、料理教室とか、その道
私が私の世界を変えるんだ。たとえそれが自分の憎む相手を幸せにする結果になろうとも。
私はずっと自分を変えたいと思っていた。
人は変えることができないのだから、自らが変わらないといけないのだ。という情報はずっと持っていた。
自分が変わろうという決心をしているつもりだった。
私は変わる決心をしています!と公言し、だから、だれか助けて。と言っていた。
これって変わりたいと思っているけれど、変われないわたしってかわいそうアピールだったのだということを知った。
その方法しか知らな
大切な、重要なメッセージほど届きづらいということ
自分が自分へメッセージを送り続けているのに、一番強いメッセージはなかなか声が届かない。
私は長年心に蓋をして生きていく方法しかしらないで生きてきたからなおのこと自分のメッセージが聞こえない。
ふと、前職を辞める前までは長続きしなくても、ここまで就職できない状態にならなかったことに気付いた。せいぜい1か月も休めば元気になって就職活動をガンガンにしていた。選考に落ちることはご縁がないことだと思うよ