大切な、重要なメッセージほど届きづらいということ
自分が自分へメッセージを送り続けているのに、一番強いメッセージはなかなか声が届かない。
私は長年心に蓋をして生きていく方法しかしらないで生きてきたからなおのこと自分のメッセージが聞こえない。
ふと、前職を辞める前までは長続きしなくても、ここまで就職できない状態にならなかったことに気付いた。せいぜい1か月も休めば元気になって就職活動をガンガンにしていた。選考に落ちることはご縁がないことだと思うようになっているので、ガンガンに前に進めた。
いまは、自分が働いている姿が想像できない。
前職を退職後、これまで通りせいぜい1か月、2か月ほど休養をとればそのうち元気になって仕事がしたくなるだろうと思っていたが、退職後2か月を過ぎたころ、朝目覚めたらいきなり身体がまったく動かない状態だった。
かなしばり。。。?と、おもったが、全身が固くて動けないというより、
「重すぎて指一本動かない」
というほうが正確に表現できていたと思う。
なにをどうやっても重すぎて動かないのである。
そのとき、あきらめた。
あぁ、もうここまできてしまったのか。もう根本からすべて見直さないと生きてはいけないんだな。というあきらめの気持ちがあった。
以降、毒親に真剣に向き合い、自分自身が心に蓋をしていたこと、身体に栄養が足りなかったのかもしれないとプロテイン、ビタミンCなどの摂取、腸からホルモンが分泌されるというので腸内洗浄、腸の状態を見直し、副腎疲労が疑われたので良質の塩の摂取を心掛け、自分の罪悪感と向き合い。。。
がんばることをあきらめて、とにかく寝続けたりもした。
アドラー心理学が伝えようとすることがなんとなくわかるようになって、心療内科の門戸をたたき、見方がすこしずつ変わってきたところで、就職したい。社会とつながりたい。となんとなく思えるようになってきた。
前職は秘密保持の内容が多い仕事だったので、書けないけれど、ひとつの事件が私の心に大きな傷を残していて、それをちゃんと私が受け止めていなかったことに気付いた。
わたしのミスではなかったのだけれど、とても大きな事件で、私のメンタルではとても受け止めきれないものだった。
仕事はどんどん増えていき、責任も増えていき、前に進まなくてはいけない状況で、でも、再発を防ぐような対策は何もされず、また、おなじことが起こるかもしれないというストレスに私の心は耐えられなかったのだと気付いた。
再発するかもしれない状態をどんなに訴えても、起きたときは起きたときだからと対応策はつくられないまま、私が責任を負う立場になってしまっていた。
誹謗中傷とか、八つ当たりとか、なんかわけわかんない冤罪とか、たくさんあったけれど、私がこの状態になったのは、そんなことは原因ではなく(理不尽がひどかったから、多少は影響はあるだろうけど。笑)いつ、また、再発するかわからないというストレスに耐えられなかったのだと思う。
どうして、そのことがそこまで私の心に傷をつくったのか、3分筆記をしてみた。(自分の心が自由に発言できるように、タイマーを3分設置して、筆をとめることなく、ただ、ひたすら書きつづけるということをたまにやっている。)
すると、それは、私の強烈な「喪失感」がトリガーになっていた。
私は27歳のときに、親友を脳がんでなくしている。
その、悲しみをまだ乗り越えられていない。もうすぐ20年になろうとしているのに。
外を散歩しながら、ぼけ〰っと思いをめぐらせてみた。感情がでてきたらそれをそのまま受け止めて、何もでてこなかったら、何も考えずにひたすら呆けて。何かが浮かんだら、そのことに思いをよせてみて。
すると、彼は「脳がん」で亡くなったのだ。ということにはっとした。
私がずっと一番恐怖におもっていることは「脳のトラブル」だからだ。
私はずっと自分が脳のトラブルを恐怖だと感じていたのに、気付かなかった。
改めて、じっくりと「リズ・ブルボーさん著 自分を愛して!」の脳のトラブルの場所を読み返してみた。
結局、彼も、私も人に迎合し、自分自身の声を無視して、自分自身を生きていないことに身体が悲鳴を上げてしまっていたのだ。
私の親友は、この世にこんなにやさしい人がいるのかと思うような人だった。すべての人から愛されて、でも、自由に発言しているように見えた。
彼は、私だ。
すべての人から愛される人なんていない。すべての人から愛されるように見えるのは、すべての人に迎合して自分を押し殺しているから、みなから「最高に都合のいい人間」になっているのにすぎないのだ。嫌われる自由がない世界で生きているのだ。
男女間の恋愛感情はお互い一切芽生えなかったけれど、人としてとても惹かれあった。男女間に友情なんてないのだとおもっていたけれど、お前だけは心底親友だな。って思えるといってくれた。
私は、彼を失ったことをいまだに受け入れられない。生きていてほしかった。といまだに強く執着している。
だけど、彼と同じ「脳のトラブル」をかかえたいま、私はこの「脳のトラブル」を克服して、生きてみようと思った。気付くのに20年近くかかってしまったけれど、私は彼からバトンをうけとっているような気がした。
何物でもない、私だけれど。
「脳のトラブル」を克服する。私にはできる。彼もついていると思った。
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