「自分で世界を創造できる」ってこういうことなのかな。
精神疾患から回復するときなんだな〰となんとなく自分が感じる1,2か月前くらいから、いろんなことに気付かせてくれたり、教えてくれたりする夢をみるようになった。
夢の中で、たくさん教えてもらったりするのだけれど、起きてしばらくするとすべて忘れてしまう。
本などには書き留めておくよーに!なんて書いてあるのだけれど、私は顕在意識よりも潜在意識がわかってくれればそれでいいや。と思い、なんとなく忘れることにしていた。
昨晩見た夢での気付きは、これまでも何回も夢で見ていて、とても大切なことだと思っても、いつも忘れてしまっていたことで、こんなに何回も夢でみるってことは、そろそろ顕在意識でもおぼえておけよ。コノヤローって言ってるのかな。 と、(笑) 書き留めてみる。
うまく書けるかな。。。
要は、「自分が世界を作っている」ということについてなのだけれど。
これ、いろんなたっくさんの本に書かれている。自分の思い込みが世界を作っている。的な。
アドラー心理学でいうところの「認知論」=自分の主観というフィルターによって世界を見ている。というやつ。
理論的にはよくわかるんだけど、私はたぶん、理解して自分に取り入れるということはできていなかったように思う。
このnoteにも「客観的視点」について書いているのだけれど
https://note.com/bashar_8282/n/nfcc8c8c7ea12
私は「客観的」にみることで自分の「主観」からある程度解放されるのではないかと考えていた。
それも一部有効だけど、「自分が世界を作っている」という意味は違うみたい。
「自分の感情が強く動いたとき」を観察して記録に残す。
これをやるように。と本でも読んだし、心療内科の勉強会でもよく耳にした。
ストレスを強く感じたとき(自分の苦しい感情が強く動いたとき)のリリースの方法として、そのことを分析する方法がいくつかあったので、観察しようと思うことなく、いま、この苦しみから抜け出したくてワークをよくやっていた。
・出来事→姉から母親が苦しんでいるのはあなたのせいだから、完璧じゃなかった母親だけどいいところもあったといい加減認めなさい。と一方的にいきなり言われた。
・感情、どう感じたか→カッときた。強く衝動的な怒り。ムカつき。イラつき。
・思考、どう思ったか→私の意見を聞いてくれないと思った。いつも一方の話だけを聞いて、私の話を聞かずに決めつけられると思った。
・行動→ものすごく強い怒りをおさえるために胸をなでた。スマホを投げ捨てたい衝動にかられたが、おさえた。
など、分析していた。
すると、私がいつも怒りを感じるときの思考が同じであることに気付いた。
「私の意見を聞いてくれない。勝手に決めつけられる。」
このときに、私は強い怒りを感じるのだ。
なので、私は「自分の意見を聞いてもらえない」と感じたときに強く怒りを感じるのだなー。そりゃそーだよな。私の人格否定じゃん。おめーの話なんてきかねーよ。だまって聞いてりゃいいんじゃ。くそが。って話でしょー?あーひどいひどい。と、思っていた。
ここなのである。
これが、「自分が世界を作っている」ということなのだということを夢で何回も告げられた。
私が「私の話を聞いてくれない世界」を作っている。ということなのだ。
実際、私の父、母、姉は私の話を聞かない。二言目には「どうして言うことを黙って聞けないで口答えするの!」だし、父も母も私が話している間に遮って話をさせてくれない。
私はそういう家族環境で育った。
だから、「この世界は私の話を聞いてくれない」と私が決めつけてしまった。
なので、「私が話を聞いてもらえない」と思ったとき、それが事実なのか確かめる必要がある。→認知論からの解放なのだと思う。
私は先ほどの姉からの一方的な決めつけだと感じられた出来事について、
「そうやってまた私が悪者なんだね。」と返信した。
すると、姉は「また攻撃が始まった。」と話をすり替えた。と私は思った。
こうなると、もう平行線だ。
でも、
「お母さんの話を聞いて、お姉ちゃんが妹がお母さんを苦しめていると思ったんだよね?お姉ちゃんの考えはお姉ちゃんの考えとしてあるとして、私の話を聞くことは難しい?」
こう返したらどうだっただろうか。
まぁ、たぶん、姉は私の話を聞く耳はもっていないので、「そうやって理論責めで私を攻撃するー!」むきー!となることは目に見えているけれど、父、母、姉以外の人は、意図が全く違うのかもしれない。
私は職場でも友達でも、どこでもいつも「私の言い分は聞いてもらえない」と思っていた。
「言い分を聞かない」
これって、人格否定。
相手のことを尊重してないから、「言い分を聞く必要はない」と判断する。
いじめってこれなんだと思う。尊重することを知らない。他人を大切に、尊重する気持ちがあればいじめなんてできるはずもない。
父、母、姉は「末っ子」という一番立場の弱い人間は尊重する必要なしと考える認知論を持った人たちなので、「末っ子」の私は意見を聞いてもらえることはなかった。→これが私の認知論
で、自分の認知論に気付いたら、それが事実なのかをつど確認していく作業によって、自分を解放する必要があるのだと思う。
「人を尊重できる」人って、自己肯定がなりたっている前提があるから、そもそも「尊重できない人」に「尊重して!」っていうのは無理がある。
でも、アドラー心理学では、まず、あなたがはじめてみましょう。ということのようだ。
そして、基本的に、人格否定をするような人たちとは関わらないですむのではれば、関わらなくてよい。ということ。
本で書いてあること同じことしか言ってないのかな。笑
私が、「自分で世界を創造できる」ってあぁこういうことなのか。となんとなくわかったので、記念カキコ。
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