自分が変わる覚悟が必要なんじゃない。自分と向き合う覚悟が必要なんだ。
よく、自己啓発のコーチングとかセミナーの勧誘文に
「本当に変わる覚悟がある人だけ参加してください」
という文言を目にする。
私は自分の人生をよくしたかったから、変わる方法さえ教えてもらえるのであればいくらでも変わる覚悟なんてあるよ!と思っていた。
これが、そもそも大きな勘違いを起こすのだと思う。
「変わる覚悟」なんていう言葉を使う人たちは基本自己受容ができていない人なのではないかと、いま思う。
「変わる」っていうのは、なんていうか、「許す」、「感謝する」、「楽しむ」みたいな自然発生的なもので、覚悟してできるものではないのではないかと思う。
意識すべきことは
「変わること」
ではなく
「自分を受け入れる、自分と向き合う覚悟を決めること」
なのだと思う。
自分と向き合うことこそ覚悟が必要だと思う。
自分が蓋をしないと生きてはいけなかった苦しい出来事を、いまなら受け止められると改めて正面からその苦しみに向き合う。
驚くような醜い感情が自分の中からあふれてくるけど、その感情は悪ではないと自分の宝物だと受け止める。
人に自分の意見を押し付けることこそが愛だと教えられたことにより、人に押し付け続けて、そのことで苦しみを与え続けていた自分の罪に気付き、自分のおかした深い罪を罪悪感をもたずに受け入れる。
どれほど自分を痛めつけてきたのか。自分を苦しめ続けてきたのか。自分に対する謝罪と罪の重さを受け止め、自分自身を許す。
そして、その先の目的は
「私は私自身をHappyにする。
そして、
私もHappy、私にかかわる人も可能な限りHappyであれるよう惜しみなく協力したい。していく。」
Amazon Musicでふと流れたThe Overtonesの歌声に聞き惚れ、彼らの音楽を調べていたら、私が聞き惚れたボーカルが2018年にドラッグで飛び降りて亡くなっていた。
「生きててほしかったな。」
そう思った自分に驚いた。
私はいつも死にたいと思って、死ぬまで仕方ないから生きると思って生きていたから、早死には神様からのギフトなのだと思っていたからだ。
「生きてさえいればきっといいことがあるはずだ」
よく聞くこの言葉は私には縁のない言葉だと思っていた。
死にたいなんて思うことのない幸せな環境で育った人だけがそんなことを思えるのだと思っていた。実際言葉の意味が全くわからなかった。
でも、彼に生きていてほしかったな。と思う私は、
「彼が生きていてくれれば、同じ時代に生きて、コロナが終結したらUKに行って生歌が聞けたかもしれなかったな。」
そう思った。
うまく言葉にできないけれど、心の奥底で
「生きてさえいればいいことあるよ」
と、思っていた。
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