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Kindleと筋力

直木賞受賞作品とそのノミネート作品あたりは、芥川賞受賞作品とそのノミネート作品あたりと比べて分厚いという印象が、しかも上下巻なんてあったら二段組になって厚さマシマシになって再販する印象があるのだけれど、電子書籍が勃興する前は広辞苑ほどの厚さとは言わないまでもジーニアス英和辞典ぐらいの厚さの本を、それこそ電車や喫茶店といった外出先で手に持って読んでいたわけで、持つことや持ち運ぶことはそれなりに筋肉を使っていたのだと考えると、それもまあ健康的でよかったんだろうなと思いつつ、私も含めて彼ら彼女らって体育会系的文学キッズという文武両道を地で行っていたのだなと感心しつつ、今はもう筋力的に持つことも持ち運ぶこともムリだろう、というある種の虚しさから逃げられずにいるものの、同時にスマホやタブレットPCのありがたみを切に感じている人は、私を含めて少なからずいるはずで、少なからずいると言うよりは大多数がそうであるはずで、佐藤究著『テスカトリポカ』をKindleで読み終わった後に当該書籍を書店で見かけたときは、本当によかった電子版で読んでおいて、とホッと胸を撫で下ろした記憶があるほど厚かったし、桐野夏生著『グロテスク』や梁石日著『血と骨』の二段組なんかを紙の本で読んだときなんかは筋トレをしているのかと勘違いしたほどだったし、吉田修一の著作は重さ的にも内容的にもぶん投げたくなるほどの……などと、尽きることのない文句を徒然なるままに書き連ねていると、筋肉というワードによって連想ゲームのように松本人志や長渕剛の姿が思い浮かんで、その先に三島由紀夫の姿を認めて、日本刀に鉢巻に筋肉に、そして「筋肉、肉、肉、2×9=18」などというアニメの歌詞などが淀みに浮かぶ泡沫のように、頭の中で、かつ消えかつ結び、そして昭和は遠くになりにけり、いやいや、平成は遠くになりにけり、なんて思いを馳せているのも馬鹿馬鹿しくなって、さてさて、徐々に筆致がロマン優光に似てきたことを自覚しつつ、読点だか句点だか知らないけど、とにかく「。」を、すなわちピリオドを打たずにどこまで文章を書けるかというチャレンジをしていることがバレてしまう前に、ここで。

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