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「没イチ」の私から言うと、今死んでも100歳で死んでも一緒です。

どうも。「没イチ」の朝井麗華です

今日こんな記事を読んだ。

配偶者がある日突然亡くなっていたら!?

体験された方の手記。
私も配偶者を亡くしている。それは13年前。

私の元夫は3年半の闘病の末、亡くなった。「余命2ヶ月の末期がん」と言われた上での3年半だったので、この期間中、それはそれは一日一日が濃く。おかげで死ぬ日を迎える心の準備を十分にさせてもらえたと思う。妻である私も。

本人にとって闘病は、痛い、苦しい、辛いものではあったが、“死を覚悟する”そういった意味ではこの記事の方より幸せだったと言えるかもしれない。この方の言うとおり、死生観では「ぽっくり逝きたい」と思う人が大半で、そう出来た本人は本望でも遺族は大変とおっしゃっており、

私の場合は闘病で辛そうな夫を見るのは辛かったが、3年半かけて「配偶者の死」を受け入れる準備をさせてもらえたことは幸せだったと思う。私ももし夫がある日突然死したら、何が何だかわけがわからず、その後彼の死を受け入れるのに時間がかかりまくっただろう。

この記事にもあるように、私も同様、周囲に「不幸者」とされることにはずっと抵抗があった。他人の前で悲しそうにしないことを訝し気に取られることも、勝手に不幸レッテルを貼られることも違和感だらけだったが、途中で慣れたしどうでもよくなった。

夫の闘病中、私は仕事には就いておらず看病に徹していた。正確に言うと、結婚して寿退社した直後の余命宣告だったため、「あと2ヶ月でご主人は死にます」と言われたら就職活動はしないよね。
宣告受けて2ヶ月が過ぎてからは、毎日、毎日「今日死ぬかもしれない」と夫も私も覚悟を持ちながら過ごした日々は、たまたま3年半続いてくれた。

お見舞いに来た夫の友人家族を駅まで車で送って行った際に
「病院に戻って死んでたらどうする?」
とそこの子供に無邪気に言われたりもした。車内は一瞬シーン。親は「何てこと言うの!」と子供を叱るが、何てことはない。それは言われなくても毎日考えること。夫を置いて私一人でどこかへ出かけるたびに(「帰ったらまだ生きててくれてるかな!?」)と思いながら用事をこなし、戻ってまず一目散に、生きているか、を確認するのが恒例だった。

医者からは「生きているのが不思議な状態だから、いつどうなってもおかしくない」と言われ続けた3年半は毎日それ。

だから、「ある日突然夫が死んでいた」というこの記事の方は私のような心づもりが一ミリも出来なかったのだからいたたまれない。

夫は私が26歳の時に他界。
それまで身近な誰かが亡くなったこともなく、何も前知識がないまま葬儀屋とのやり取りや火葬の手続きも全部ひとりでやったし、喪主も初めてやった。今思うと、26歳の喪主って若いなぁ。

そして夫亡きあと、色々な人に色々なことを言われた。

「壮絶なご経験を・・・」
「大変だったでしょう、かわいそうに」
「不幸を呼ぶ女だな!」

だけど、こういう言葉をなぜ他人が言うのかずっとわからなかった。

壮絶だったかどうかなんて、見てないじゃん?
大変だったって何で決めつけるの?大して大変じゃなかったし。
かわいそう、って何基準?
夫は「世界一の幸せ者だ」と言って亡くなったよ。
不幸を呼ぶ?私が?

自分基準でものを言う人だらけな世の中なのでまぁ仕方ない。
あと、この記事に1か所だけ、ちょっと違和感に感じる部分があって。

記事のタイトルにもしているほど、
〝「腫れ物扱い」が苦しくて・・・かわいそう、はもうやめて〟

とご自身に対する周囲の反応に対しては言っているのに、
亡くなったご主人様のことは、

〝私は、夫がかわいそうでならず〟
とか
〝「夫がかわいそう」「夫の死を無駄にしない」〟
と言っていることに矛盾を感じた。

自分は夫をかわいそうと決めつけているけど、
自分が周囲からかわいそうと決めつけられることは嫌がっている。

それは人の主観、価値観なので批判する気はさらさらなく、
そうなんだー、と思うだけなんだが。

私も通ってきた道。ここで自分の考えを書き綴りたい。夫を亡くして13年経つ私が今、行きついている考えはこうだ。

そもそも、魂の上では自分が選んだ内容の人生を送るのが今世。
生まれる前の記憶がないだけで、私たちは皆、
「次の世ではこれを学んで来る!」
と自分で目的を決めて地球に生まれているはず。

だから、何が起きたって、ぜんぶ自分で設定してきたこと。
望んでそうなっているんだから、なにひとつ、不幸とかかわいそうな事ってない。

ただ、生死に関しては「平均寿命」というものが存在し、この世にいる期間の基準が出されているから一般的な目安になっているだけ。平均寿命より早ければ「不幸」、遅ければ「大往生」とみなしてるだけ。
40代でぽっくり逝ったら「突然死で不幸」
80代以上でぽっくり逝ったら「PPK(ピンピンコロリ)で幸せ」
どちらも同じ、急死。

この世に生まれた目的を生命の上で、宇宙との約束の上で、どう捉えるか。
私の夫も誕生する以前に、
「今世は闘病を通して健康とか愛とか、生きる本質ってやつを命がけで経験してくる!」
とかって決めてきていたんだろうって思う。

だから、人生の岐路ごとに、それを叶えるための選択を取る。
彼が彼の両親のもとに生まれたのも、私と結婚したのも、病気になったのも、誓ったことを学ぶためのアイテム。

私はそういった観点で人生を捉えている。
どんな人生もそれぞれが望んできたことだから、他人の物差しで測るものじゃないし、測られたところで何か思う必要もない。

私もずっと「若くして不幸を経験した女」「かわいそうな人」と世間に言われ続けたけど、人は自分の見たいように見る生き物だから、
「ふむふむ」
って流す。というか、そんな考えで生きてるからどうでもよくなった。

私とて、同じこと。
「1度目は早めに結婚して、徹底的に人に寄り添うことから学ぶ人生」
生前、それを経験する1つの項目に掲げてきたんでしょう。

なのでそれを活かして何かをするのがこれまた誓って生まれた次の目標なんだと思う。
(実際、「重病に至らせず未病の段階で防ぐことの重要性やその方法をたくさんの方に伝える!」を夫死後のミッションとして今のところ生きてきた)

私にこの経験がなかったら、同じことをしても届かない人は多かっただろう。
この経験があるからこそ、私の言葉にリアル感が伴い、人の心に届くから今があるのだと思う。そして、私は更にこの輪を広げたいのだから、私だけじゃなく、私に命がけの生き様を見せた夫もまた、死してなお、使命を果たし続けている。

今世は私の夫やこの記事の方のご主人様は平均寿命より早く天に召されたが、前世や来世は長生きの選択かもしれないし、そもそも、時間という概念のない宇宙からすると、1年も、50年も、100年も同じ一瞬。
だから40歳で死のうが、80歳で死のうが、魂の故郷に戻れば大差ないこと。

早く死んだから不幸、
突然死んだから不幸、
病気したから不幸、
何かに恵まれないから不幸、
とかない。

長生きしたから幸せ、
お金持ちになったから幸せ、
結婚して家族をもったから幸せ、(その逆は不幸、)
とかもない。

幸不幸の価値観は他人の物差し。

そもそも「不幸」という概念が本当は無いんだってこと、知ってほしい。
繰り返しになるけど、それすらも、経験したくて選んで生まれてきたんだから。
経験できて、「良かった」
なんだって。

「じゃあ、悲しんじゃいけないって言うの!?」
「不幸って思うな!ってこと!?」
と言われそうだけど、そうじゃない。

そう捉えることも〝その感情を経験する〟と決めてきたことだから。
「私はこういう経験をして、それに対してこういう感情を味わってみたい。それが私の魂の成長になる」
と肉体を持つ前に誓ったこと。

だから、人の幸不幸は、他人が決めつけることでも、価値観を押し付けることでもないんだと訴えたいし、周りになんと評価されようと自分次第だし関係ない、ということも言いたくてこれを書いた。

ところで、
配偶者を亡くした人のことを「没イチ」って言うんだね。
私は今まで自分のことを「うーん、結婚はしたけど今独身。だけど離婚したわけではないから“バツ”じゃないしなぁ・・・じゃあマル?ってことでマルイチ!」と自分のことを言っていたけど、新単語を知った!メモメモ。

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朝井麗華
「緩和ケア」と「産後ケア」。一見対極な存在と見られがちですが、両方を経験しそれらは近い存在であり、両方の重要性を心から訴えたい。これらの在り方捉え方の啓蒙、それらにお役に立てる活動をすることが私の将来の目標です。頂いたサポートはそのために使わせて頂きます!