記事一覧
音楽って偉大ですよね。
幼い頃から音楽が好きだった。
今も音楽に救われている。パニック発作が起こりそうな中電車に乗る時、視線恐怖症が酷い時の横断歩道。
人と話たくない時の「今、イヤホンをして音楽を聴いているから話しかけないで下さい」という無言の意思表示。
旅先で落ち込んだ時も音楽が私を励まし、癒してくれた。
本当に感謝している。
そして今もそうだ。
YouTube動画を流しながら小さめのボリュームで音楽を聴いている
フラッシュバックが続いて脳が疲れてしまった
ここ数か月、過去の家族からの虐待の記憶やそれについて自分で再度色々と考えて来た。そして私と同じような体験をして来た人達のブログも沢山読んで来た。
そこで私が気づいたことは、虐待サバイバーの殆どが何年、何十年経っても根本的な問題は解決することなく苦しんでいて、哀しみや怒りの感情を持て余しているということ。
そして、いつになったら法律や支援や医療が被虐待児を救ってくれるのだろうか。先が、私が見つめ
散歩の途中に襲い来る闇
また嫌なイメージが湧いて来た。本屋へと歩いている時にそれは起こった。
私を虐待したクズを他のゴミ家族や警察の前で私が蹴り倒すイメージ。
周りはただその様子を見つめているだけ。
私の右足が現実的に重くなった。
ハッと我に返り思わず呟く
気を付けないと
気を付けないと、イメージがリアルな妄想となってしまう。そしていつか現実に戻れなくなってしまうかもしれない。
気を付けないと
これ以上病気は
虐待サバイバーが立ち直るためにすること
私は私を虐待した家族とは今現在は距離を置いている。
それは当然だと思うが、15年前ぐらいは顔を合わせたりしていた。醜い人間だらけの家族の行事に。
こう聞くと何故に連絡を取っていたんだ?と疑問に思う人もいるだろうけれども、虐待の事実は、虐待した人間がその事実を捻じ曲げ、隠滅するために様々な手を使って子供を脅迫し洗脳して育てていくために、その洗脳から虐待された子供が解かれるまでに相当な時間がかかるか
闇が深いと回復が遅れる
毎年ニュースで親殺しの記事を目にするたびに思うことがある
「彼らは親からどんな虐待を受けたのだろう?」と。
きっと彼らは親、家族からのねじ曲がり歪み切った醜い感情を、純粋な魂を持ちながらも孤独のまま受け止めてしまったのだ。孤独で孤立し、他に頼る者もない現実を哀しい目でみながら、たった一人で。
親を殺した子供の裁判を伝えたニュースの記事は「言う」
殺害された父親が子に与えた虐待は「躾の一つと
勢いで乗り越えられる日
今日は虐待サバイバーに関する記事を書いて、その後にnote内で虐待サバイバーの記事を沢山読んだけれど、とても共感はしたけれどそこから自分の中の闇に吸い込まれることはなかった。
それはブログを書きながらもアジア旅のYouTube動画を流していたせいもあるかもしれない。
生命力が強そうで生き生きとした顔をしている女性が、アジアの混沌を旅している姿はとても励まされるものだ。
私も一時期、アジアや国内
嫌な記憶が出た時の対処法。私の成功体験と失敗談。
虐待サバイバーのほとんどがフラッシュバックに苦しむ時がある。
人によっては何年もフラッシュバックが起きない時もあれば、頻繁にフラッシュバックに悩まされる時もある。
私の場合最近は程度の差はあれどほぼ毎日フラッシュバックがある。
加害者がやっていたスポーツを何かで見たり、加害者に似たような人を見かけると動悸がして恐怖心が高まりまた同じような目に遭うのではないか?と不安になる。
そういう時は利き手
過去のこと話す相手、そして被害者を責める罪悪感
私は自分のトラウマの事実と向き合うまでに相当な時間がかかったので、過去の事をパートナーに話すということをしたのは33歳ぐらいだったと思う。
しかし、その後付き合った人全員にも話したかというとそうでもない。
33歳の頃は長い間抑え込んでいた残酷な記憶が噴き出してしまった時期だったから、躁状態になった私はつい話をしてしまったのだと思う。
私の中に長年抑え付けていた感情は哀しみ、怒り、嘆き、憎しみと様
生き残ったのに無視される社会
虐待され生き残ったものの、人生は厳しい。
フラッシュバックが酷ければ酷いほど、年を取れば取るほどに辛い人生になる。なりうる。
虐待された子供はその事実を発言出来ない。
虐待した家族はその事実を自分からは発言しない、絶対。
死んだ場合は別だけれども。
虐待された人間が死んだ場合は「ニュース」になり裁きが下される。
その加害者は名前と顔を晒される。
それでは生き残った場合はどうだろう?
虐待
メンタルの崩れを自分で立て直す日々
今週はなるべくなるべく夜はトラウマの記憶に踏み込まないようにしていたのだけれど、夕べはひょんなことから一気に気分がブルーになってしまった。
今朝もなかなか起き上がるのに苦労したけれど、食事は出来たからまだ良かった。そして日記に夕べの気分と今朝の気分を書き込んで食べた物も書いていく、また胃腸の調子も悪い・・でもまだマシなほうだと。
虐待サバイバーの多くは元々体力がないのだけれど、年を取るともっとし
健康志向もほどほどに
私の心の根底には「恐怖」がどっさりとある。
あれをしたら身体によくない。
あれを食べたら身体によくない。
あれをしないと身体によくない。
若い頃はそこまで健康志向ではなかったけれども、年を重ねてきて今まで以上に疲れやすくなったり集中出来なくなったりすると、さすがに食生活を変えなくてはと思うようになった。
こんなにも極端に人は変わるのだろうか?と思うぐらい私の職位生活は変わった。あまりお金をかけ
自分のバイオリズムを知ると良いこと
私はほぼ毎日日記をつけているけれど、気持ちが上がらない時は日付と時間と起きた時の気分だけとかもある。
週末に日記を読み返してそんな時の日を思い返したりする。
そして、「結構辛かったみたいだけれども、なんとかなったな」と思う。
過ぎてみたらどんな事が辛かったのか覚えていないのだ。
その方がいい、流しても大丈夫なことはどんどん流していこう。
神経症的に色んな事を細かく覚えているととてもストレスが溜
主人公が複雑性PTSDの映画(希望が持てる映画、残酷な映像シーンはほぼなし)
過去に心に深い傷を負ってしまい、大人になっても生きづらい人生を歩んでいる人は少なくない。
そして、そんな人達が主人公となり闇に呑み込まれることなく生きて行こう!と自分の魂を呼び覚ます映画はちゃんとある。
そういう映画は虐待をされた事実を思い出させるけれども、選択肢と人生の道しるべを私に教えてくれる。
今回は残酷なシーンが殆どない映画を選びました。
「グッドウィルハンティング 旅立ち」
はい