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過去のこと話す相手、そして被害者を責める罪悪感

私は自分のトラウマの事実と向き合うまでに相当な時間がかかったので、過去の事をパートナーに話すということをしたのは33歳ぐらいだったと思う。

しかし、その後付き合った人全員にも話したかというとそうでもない。
33歳の頃は長い間抑え込んでいた残酷な記憶が噴き出してしまった時期だったから、躁状態になった私はつい話をしてしまったのだと思う。
私の中に長年抑え付けていた感情は哀しみ、怒り、嘆き、憎しみと様々で、それを対処するために抗うつ剤、抗不安剤や睡眠薬を飲み始めたこともあって精神状態はとても不安定だった。(薬の副作用もあったのか、当時の私は寝言で怒り叫んでいたそうだ)
知り合ったばかりの人にまでトラウマの原因を話してしまうほどに。

そういう経験を後からやっぱり少し後悔したりもしたけれど、もう仕方がない。それから20年経って過去の事を話したことによって大きな影響があったか?と思うと特にないので、私の場合は問題がなかったとしか言えない。

虐待サバイバーの事実は、他人から見ても「想像もしたくないおぞましい事実」なので、聞かされた方は大体俯き加減になり「大変だったね」という言葉も言えないぐらいショックを受けた顔をして言葉を失う。
そこで慰めの言葉がすんなりと言える人は似たような経験をした人だけだろう。

それぐらい、恐ろしくタブーな話なのだ。

これがもし、「車で轢かれてケガをした」という話だったら

「犯人はどうしたの?捕まったの?警察は?」
になる話なのだけれど

「家族」「家庭内での虐待」のキーワードが出ると何故だろう

「犯人はどうしたの?捕まった?警察は?」と誰も言わない。

これは本当におかしい。

いい加減この事実にみんなが気づくべきだ。

犯罪なんだよ、犯罪の意味は分かるよね?

いつまで被害者に罪悪感をかぶせて、加害者をこそこそと裏口から逃がす気なんだろう?

早く、時効の撤廃と被害者を守る法律に変えてくれないだろうか?

いつまで被害者に「相手を許してあげなさい」という強迫をし続けるのだろう?加害者は何の責め苦も受けていないのに。
許さない被害者が悪いというような、訴えること自体が「愛も許しもない悪」みたいな脅迫をいつになったらやめてくれるのだろう。

社会が法律が家族内のことにもきっちりと踏み込んで犯罪だと認めないから、虐待された方は認知の歪みが強く仕上がり、事実確認まで何十年と時間がかかり、事の重大さに気が付いた時には時効が成立してしまっていて絶望することになるんだよ。

もう、いい加減こんなことは止めないか?
虐待の連鎖を止めるためには、もう今の法律では無理なんだよ。
社会が虐待にあった被害者に罪悪感を植え付ける言葉を浴びせていて何の得があるのだろうか?

もうそろそろ、被害者たちがみんなで法律を変えていく運動をしていくべきだ。








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