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闇が深いと回復が遅れる

毎年ニュースで親殺しの記事を目にするたびに思うことがある

「彼らは親からどんな虐待を受けたのだろう?」と。

きっと彼らは親、家族からのねじ曲がり歪み切った醜い感情を、純粋な魂を持ちながらも孤独のまま受け止めてしまったのだ。孤独で孤立し、他に頼る者もない現実を哀しい目でみながら、たった一人で。

親を殺した子供の裁判を伝えたニュースの記事は「言う」

殺害された父親が子に与えた虐待は「躾の一つとして認識されたため・・・」

虐待が躾の一つというこの言葉の矛盾。
それは本当に裁判の中で語られた言葉なのだろうか?気味が悪すぎて吐き気までする。

暴力が躾とは一体いつの時代の話なんだ?

他の事件のニュース記事はこう「言う」

父親を殺害した少年は、父親から数回叩かれたという証言が過去にあり・・・

「人は数回叩かれただけで人を殺さない」

そんなことを虐待サバイバーならよおく知っている。勿論、事件の背景は全てみえることはないだろうけれども、こんな記事をなんの補足もなく載せるライターはどうなんだろうか?

知的障害などがない限り、数回叩かれただけで人を殺したりしない。

虐待サバイバーである私は相当な事件が家の中で起こっていたのだろうと推測する。長い時間をかけじわじわと子供の身体も心も蝕んでいったのだろうと。それを加担する人間もいたのだろう。

道徳、教育、法律が変わるのはいつの日になるのか。
コロナ過からの長年の不景気はまだ続くだろう。

声を出せず、精神を壊されて未だに自分を傷付けた親と暮らさないといけない現状にいる子供たちは沢山いる。

そして、未だに虐待を受けながら成人したかつての見えない子供たちを、どうやったらそこから逃がしてあげられるのだろうか。
もう大人なんだから、ではないのだ。
家族からの虐待、言葉による脅しをかけられ育ってきた彼らの精神は想像以上に歪んでいるし病んでいる。鬼畜な親から洗脳、脅迫され続け大人になった今も逃げるという気力を失くしてしまっているのだから。

そこに自己責任という言葉は適さない。

そして発達障害、知的障害、知的障害グレー、虐待による精神障害によって社会に出られない成人した子供たちも沢山いるだろう。

保護者となる者が「鬼畜で外道」なのだ。

もう家庭内の問題などと言っている場合ではないのだ。

子供たちの命が懸っているというのに、政治が弱者いじめをしている腐った世界。

貧困、社会的弱者の一番下にいるのは子供たちだ。
痛ましいニュースはもうみたくない。

どうか助けてください。
この国はいつまで子供を犠牲にし続けるのですか?




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