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闇について

身も悶えるほどに苦しいか しかし
それが本望であり くすねるべき果実なのだ

この雨のにおいが好きだ。左目には明け方なのに一番星が輝いている。人と関われば関わるほど、悩みは尽きないのか。それとも、ただ呼吸が深くなっているのか。文章量が多くて困っている。決定疲れかもしれないし、少しはコントロールできるようになりたいものだが、まあいいか。先刻は5時前に庭いじりに出て、土を片手ずつさわった。外にある水道で手を流しては、空気を吸った。雨上がりで湿っているが、微生物や腸にいいバクテリアがいそうで、安心と解放、リラックスを感じた。玄関を出る前、家族を起こさないか心配してためらったが、がまんしなくてよかったと思えた。だって、こんな世界が広がっている。

「闇について」

「吟遊詩人とは、そういうものだ」と気づいた。ずっと不可解な点があったのだが、ようやく謎が解けそう、納得もいきそうだ。なぜ”ソレ”に惹かれるのか。単なる社会病な気もするが、それだけではない。きっと、ありもしない闇に目を向け、なにかを見出し、そしてひっぱり上げる能力。それが創造性なのだろう。諸説あるがそういうものでもあるだろう。

だから、私は自ら染まったのだろう。
ああ、手を引かれるがままに・・・。
彼らも、そう。体現者となった。

室内に戻ると、なんともいえないコンクリートのつめるような空気感に、「そりゃここにいたら気がふれるわな」と思った。

私は元々強かったわけではない。ただなんか、できる範囲の中で飛び込んだだけだと思う。だから、相対的に強そうに見えるだけだ、とも。

今のままで満足かな、と思う。偉人、遺人の魂とふれあう。ああ、そこに私はいるから、だからこの立場に満足だ。だって、選んだのは自分だから。そのためにはそうなる必要があったのだろう。そう簡単にはなれるものではない、一人の意思ではどうにもならない悲痛なこと、喜ばしいこともあるけれど、せめて価値と解釈は本人が選ぶものだと思ったタコライス。

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