実家での私は守られる人、海外にいる私はどこかの馬の骨
ドイツに出る準備をする私が、最近よく考えることがあります。
実家で暮らしている私は、家族から守られる対象のひと。海外に出た私は、誰の子ともわからない馬の骨。
要するに、大事に守られる誰かではなくて、大衆の中の1になってしまうということです。
このまま実家にいれば守られるひとなのに、なぜ私は海外に出たがるのだろうと、いつまでもこの問いがぐるぐるとしています。
私のこと
ギリホリの30-31歳の年代
会社員を辞めて約半年間韓国留学
帰国後、準備を経てドイツワーホリ
日本の仕事を持ち込む形式で収入を得る
前職とはまったく畑の違う、コーチングを仕事に
円で働きユーロで住むことが不安、でもまずは挑戦
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▼ドイツワーホリ準備の記録マガジン概要
※記事は数ヶ月前に書きました。有料記事ですが無料で全文読めます☺️
なぜ馬の骨だとダメなのか
私がどこかの馬の骨だと、何がダメなのか。
それは結局、私は周りからの扱われ方に、自分の価値を見出すからだろうと思います。
日本にいようと、ドイツにいようと、私の価値は変わりません。
私は私で存在し続けるし、むしろドイツに暮らせば、どんどんアップデートされ続けるだろうと思います。
でも、馬の骨になってしまうことに、心細さを感じます。
これには、日本における「外国人」の扱われ方が作用しているのだとも思います。
例えば、入管によって殺されてしまった外国人がいました。
そこまで極端な話ではなくても、アラサーの私たちが子どもだった頃、大人たちが外国の方に接する態度は、気持ちの良いものとは思えませんでした。
今だって、日本語を話す外国の方をからかったり、馬鹿にしたり、あるいはかわいがったりする風潮があります。
これが私は、すごく嫌です。
日本にいられるのが一番だと思う気持ち
もう1つ思うことがあります。日本が私にとって住みやすい国だったら、私は日本に居たいのだろうということです。
ドイツは憧れの国ではあるけれど、やっぱり外国人である私たちには暮らしやすい場所ではないだろうと思います。
韓国に半年暮らしてみて、いろんな大変な思いをしたからそう思います。(後悔をしているという話ではありません)
新しい国に暮らし始めるということは、その国でいえば0歳からやり直すということで、これが結構大変です。
日本で女性が子どもを産めと言われなかったり、シス男性以外も対等に扱ってもらえたり、夫婦別姓や全ての人が自由に婚姻を選べることなど、そんなものたちが揃っていたら。
私は30年住んだ日本に、留まりたいのだろうなと思います。
他国にいる私はどこかの馬の骨
いろんなものを天秤にかけた結果、私はドイツに行くことにしました。ドイツという「憧れの国」があったことは、せめてもの救いだったと思います。
日本にいたら、私は家族や仲間から守ってもらえる存在です。
でもあえて、彼らの手の届かないところで、馬の骨のような存在として、0歳から暮らしを始め直します。
選んだからには、これを正解にする覚悟です。もちろん、失敗もOKです。
自分に失敗の余地も持ちながら、だけど大きなお金と時間を費やすのだから、納得する時間を過ごそうと思っています。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️