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もう感情に最適解を求めない

生身の人間の感情に、"適切さ"も何もあるもんか。むしろそんなものあってもらったら困る。常に自己矛盾や不適切さと隣併せの危険を孕むグレーな存在ゆえに、感情は感情として成立している。今だからそう言えるのだけれど。

ある時期を境に、感情に"最適解"を求めて生きていた。この場面では笑うべきとか,こう言われたらこういうテンションで返答すべきとか,人に好かれるには,普通の人間になるには,とか。大学生で親元を離れ、一人暮らしを始めるまでは、日々そんなことばかり考えていた。

「人に合わせて生きてきた」とはまた少し違っていて、自分から発生する感情、それ自体にある種の正解らしきもの、つまり適切さを求めていた。そんなものどこにもないのに。私には周りの人間がなんだか正解に見えていたんだと思う。私は間違いで、みんなは正解。世界は常にそんな感じ。

多分、自分が少し変な人だということをある程度自覚した上で,より普通になるために,周りに溶け込むように,人間らしく,うまくやるために,そうしていたんだろうな。全然うまくやれてなかったけど。

今はもうそんなこと,考えないようにしている。みんな少しずつ変だし、単なる程度の違いや,表に出す出さない,自覚してるしてないの違いだと信じている。

何となく,今なら過去の自分を整理できそうな気がするので、私の人生を軽く振り返りながら、その当時の事について好き勝手語らせてほしい。

(結構長いので適当に流し読みしてくれたらOKです👌なんなら結論まで飛んでくれてもオッケーです!)

幼稚園時代

幼稚園の頃は先生に「マイペースだよね」と言われる子供だった。恐らくこれが本来の私の姿。だってまだ自分を取り繕うことなんて知らないし。常にボーッとしているように見えたと思う。でも私自身は外界世界の情報を自分の中で噛み砕くのに精一杯の生活だった。この人は何を考えているんだろう,何故こんなことを言っているのだろう,何で怒っているの,何で泣いているの,どうしてそんなことを言うの。そんなことばかり考えてる,大人しい子供だった。

挙句の果てには,図画工作の授業参観なのに隣の子が鼻血を出したからといってその後の時間一切自分の工作に手をつけられず隣の子を心配していたこともあるし,先生が園長先生に怒られているのを聞いただけで,全身蕁麻疹が出たこともある。

とにかく世界が常に謎だらけで,理解し難く,不思議で,馴染めなかった。

そのくせ,人の感情だけはドカドカ流れ込んでくるから現場(私の心)は大混乱。

小学生時代

小学生になると,相変わらずのマイペースさは維持しつつ,割と自由奔放に楽しく生活していたと思う。

その頃にはだんだんと自分の脳内の考え事と,現実世界との折り合いを付けられるようになったし,何よりも毎日が刺激的で楽しかった。

普段は友達と楽しく過ごし,たまにボーッとしたいときは休み時間,廊下の窓から外を眺めていたし,遊びたいときは全力で雪の日でもドッジボールをしていた。男の子相手でも怒りたいときは殴り合いの喧嘩をしていたし,自分に素直に生きていた。

中学生時代

しかし中学生になると環境は一変した。他校の小学校と合併することになり,今まで知らなかったタイプの人たちと関わるようになった。要は治安があまり良くなかったのだ。いじめられないために(まあ結局一時期ターゲットになりましたが),自分の身を守るために,適切な立ち回りが何よりも必要だと実感したのだ。

その頃から私の心は徐々に死んでいった。今思い返してみても心底幸せだったなと思える瞬間はほぼないし,(受からないと思っていた高校に受かった時くらい?)あんなに毎日頑張って笑っていたはずなのに,一体何が面白かったのか思い出せない。しんどかったな,くらいしか感想は出てこない。

周りを見て,普通に好かれる人間になるにはとか,嫌われないためには,とかばかり考えていたからだろう。

キツかった,苦しかった,本当の自分なんて考えたこともなかった。

母親に,あんたの気持ちがわからない,何考えているのかわからないとよく言われた。私がいちばんわからないよ,と叫び出したい気持ちの代わりに,止めどなく涙が溢れた。

高校生時代

高校の治安は最高に良かったけれど,中学生時代の,なるべく人によく思われるように振る舞う習慣が抜けず,本当の自分はやはり行方不明の毎日だった。今でも忘れられない言葉が,1年間4人グループで行動してきたうちの一人に,1年間の最後の日,クラス替えの前日,「他の二人はそんなことないけど,〇〇(私)は一緒のクラスだった感じがしない笑」と言われたことだった。衝撃だった。おそらく私もその子のことは得意ではないタイプだったのに,無理やり仲良くするために常に自分を出さず,当たり障りのないことばかり言っていたからだろう。ひどい言葉だと思ったが,ある意味で本心を見抜かれていたんだ〜と今だから思える。

それでも,今でも最高に仲の良い親友が一人できたのが人生最大の救いだった。

いつもどこかで適切さを求めていた。行動だけでなく、感情までも。どう振る舞えば正解かな?どう思うのが適切かな?なんて、そればっかり探していた。

傍から見れば、いつもニコニコしていてお気楽そうで、ノリがいいけどなんか浅い、そんな風に思われていたと思う。

みんなが面白いと言っているから面白がらなきゃ、みんながいいと言ってる音楽を聞かなきゃ、流行りに乗らなきゃ、可愛くならなきゃ、愛される人にならなきゃ、どうすれば、どうすれば、そればっかり。

気づいたら、感情はいつも迷子。

自分の存在価値が分からなくなり、私ってなんなんだ、とふと考えると、心がヒュッとなり、怖くなり、お風呂場で、トイレで、何度も泣いた。どこにも居場所はなかった。

そして大学生時代

大学生になり親元を離れ、一人暮らしをした。

突如生まれた、1人だけの長い時間。

ベットに寝転びながら適当に音楽を聞き流す。

ふと流れてきたローテンポな曲に一瞬で心を奪われた。曲名を見てみると知らない歌手。感覚的に心惹かれた。とても悲しい曲だけど、決して万人受けするようなポップスでは無いけれど。そして、なんとなく、こうやってずっと、自分の好きな音楽だけ聴いていたらどうなるんだろう?と思った。知らない街で、もう今は1人だから、それが許される。初めての感覚。自由だと思った。細胞全部,生まれ変わったような気がした。

私はこの時初めて、自分の感情に正直になることを学び、本当の感情の在処を知ったのだ。

結論

適切な感情なんてどこにもない、正解もない。周りがどう思うのかではなく、あなたが、本当のあなたが、どう思うのかが1番大事。今は心からそう思える。

もっと素直になろう、自分自身に1番正直になろう、誰かに嫌われてもまぁオッケーだし、もし誰かに好かれたら万々歳、楽しい時は心から楽しみ、息が苦しくなるまで笑いたいし、悲しい時は心からちゃんと悲しんで、涙が枯れるまで泣きたい。 

そうして、自分に素直に生きていける人間は、きっと強いし、ずっと幸せだと思う。何があっても、もう私は自分の感情に"適切さ"を求めない。意味不明でもいいし、理解されなくてもいい。

意味不明でも、理解不能でも、私だけはちゃんと私の感情の面倒をみてあげる義務がある。

もう二度と、あの頃みたいに、内側からの自己破壊を繰り返さないために。


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