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「でんでらりゅうば」 第26話

 澄竜すみたつが去っていってから、小一時間ほど後、夕闇が濃くなり部屋のなかがいっそう暗くなり始めたころ、表情のない村の男たちが、のそのそと部屋に入ってきた。そしてものも言わず五、六人がかりで公竜きみたつの遺体を運び出していった。
 安莉の目の前で、その光景を演じているのはもはや人ではなく、幾人かによる影絵、魂を亡くした亡霊たちの奇妙な踊りのようだった。

 ――そして翌日、改めて澄竜と安莉の結婚式が執り行われた。まるで拘束衣のような重い花嫁衣裳に身を固められ、目隠しをされて神輿みこしに乗せられた安莉は、アパートのクローゼットからあの抜け道を通って外に出た後、ひとしきり村を練り歩き、大森神社の奥にあるせいの本家へ運ばれた。
 奥座敷の大広間に入ってから目隠しを外された安莉は、そこに豪勢な祝言の席がしつらえられているのを目にした。そこには村中の人間が集まっていて、かげみついしかつ、高麗先生や弟子の砥石正利まさとしの姿もあった。
 人々の祝いに浮かれた表情をしりに、虚ろな目をして盃にも料理にも手をつけず、抜け殻のようになって座ったまま、安莉は高砂を聴いていた。
 宴もたけなわとなったころ、騒動が持ち上がった。
 ただひとりこの挙式に異議を唱え、祝言の席に参加することを頑なに拒否していた古森ふるもりりんが、祝宴に乱入したのである。昨日の澄竜の自分へのふるまいに身も潰れそうなほどのショックを受け、嫉妬に狂ったこの十七歳の巫女は、神懸かりのような錯乱状態になって座敷に踊り込んできた。
「この結婚は、厄災ぞ! ニセ物の竜が結婚しよる! 本物は死んだ!」
 見れば、村で葬式のときに巫女が着用する装束を身にまとっている。凛は「ニセ竜」という言葉を連呼しながら葬送の舞を舞った。縁起の悪いことこの上なかった。列席していた村人たちは皆気色ばんだ。
「凛が、とち狂っとる」
「何とかせえ!」
 方々で怒号が発せられ、及び腰になる者、血相変えて立ち上がる者と宴の席は乱れた。粛々と進められていた祝言の座は、一転騒然となった。
 複数の男たちが飛びかかり、暴れる凛を取り押さえた。
「黙れッ! 黙らんか、この気違いが!」
「ニセ竜やなんざ、言う者があるかっ!」
「おばあのように、こいつの口縫うてしまえッ!」
 どこからか、狂気じみた声が響いた。騒然とした場で誰が発したものか判別できなかったが、それは瞬時に村の総意となって、直ちに準備が成された。男たちは六人がかりで凛の体を抑え、腕自慢の若者ががっちりと顔を固定した。
「あああ、ああーーっ! 嫌だあ! やめて、やめてくれーーッ!!」
 恐怖を感じた凛は、声を振り絞って懇願した。だがそれで逆上した村人たちを止められるはずもない。

 この、不埒ふらちもんが! 何ちゅうばち当たりか!

 いこの忌まわしい口、縫いつぶしてしまえ!!

 この巫女の狼藉ろうぜきに端を発した地獄絵の展開を止めようとする者は誰もいなかった。眼をギラギラと光らせた村人たちが血相を変えて叫ぶ声が、広い座敷中に響き渡っていた。声を上げぬ者たちも全員、眉間に深い皺を寄せて顔をそむけている。両手で目を覆い、畳の上に突っ伏して震えているのは、古森家の人間だろう。

 身動きできないほどに固定された凛の顔が持ち上げられ、口の端に、どこからか現れた糸を通した針が、ぶすりと刺し込まれた。
「ウォオーーーーッ!!」
 甲高い苦悶の声が上がった。かたくなに一切の動きを止めない村人たちの残忍な手が、麻酔もないままに幾度も凛の唇の上下に針を入れ、容赦なく肉のあいだに太い糸を通していった。きつく縫い留められた口が痛みのために痙攣するたびに、糸のあいだから少しずつ真紅の血が滲んでくる。
 凛は高祖母のおぬい婆がかつてみずからにしたのと同じように、真ん中だけを残して完全に口を縫い閉じられた。
 その間、約三十分ほど。突発的な出来事だったとはいえ、それはまるで竜の婚礼に捧げられる生贄いけにえの儀式ででもあるかのようだった。
 凛の上げるくぐもった悲痛な声に、憐れみを持って見つめる者は誰もいなかった。皆一様に表情を欠いた、恐れに満ちた冷たい視線を堕落した巫女に送っていた。

 これが澄竜の言った、〝竜を殺したらどんな恐ろしい祟りがあるかわからない〟ということなのだろうか。では、公竜にとどめを刺した澄竜自身に降りかかるであろう祟りとはどんなものなのか。

 拘束衣のような花嫁衣裳の重さに窒息しそうになりながら、安莉はそんなことを考えていた。なぜか自分でもおかしいと思うくらい、頭のなかは冷静だった。
 この光景をどんな様子で眺めているのだろうか、と、安莉は横に座っている澄竜に視線を向けた。
 澄竜は平然と、目をすがめて凛の苦悶の顔を凝視していた。その表情にはまず、婚礼の宴の邪魔をされたことへの不満が見て取れた。そしてその瞳には、これほどのことは当然の報いであるといったような尊大さと冷酷さ、それに狂気が入り混じっていた。
 安莉は、星名という家のごうの深さをの当たりにしているような気がした。


 
 ――雪に降り込められた冬は、音もなく過ぎていった。沈黙が、耳を圧するようにのしかかってくる。ここは温かくもなければ冷たくもない。外界のあらゆる刺激が一切遮断された閉鎖空間で、もう何日過ごしたのだろうか。
 婚礼の後、花嫁衣裳の拘束を解かれた安莉は、この部屋に戻された。
 村人たちは、最初から図っていたのだ。雪の下に埋まったこの建物は村中で一番逃げられない、完璧な独房だった。それも快適で、安莉にとって住み慣れた環境である。時折建物の真上にある天窓の上の雪をけて、村人たちが覗き込んでいった。
 放心して風呂を使うこともしない安莉の体を拭いてやったり、食事を運んだりして甲斐甲斐しく身の回りの面倒を見るのは〝世話女〟と呼ばれる女の役目だった。女は定期的に交替したが、その仕事と心づもりは皆同じだった。

「可愛いやや子、、、を、早くね」

 女たちは口をそろえてそう言った。

 
 澄竜と安莉のあいだには、割合と早く子どもができた。次の年の秋に生まれた、康竜やすたつと名づけられたその元気な男の子は、初乳を与えたかと思えばすぐにどこかへ連れ去られた。世話女に聞くと、星名の本家へ連れていったのだという。
「何ちゅうても、跡取り息子ですけんね。こんげな元気か男の子、珍しいて、本家のほうで大喜びしよるちゅうとります。ありがとう、安莉さん、ほんなこつ、ありがとう……」
 ほくほくと嬉しそうに笑いながら、世話女は言った。村に赤ん坊が生まれるというのは、この上ない喜びらしかった。
 正直なところ、安莉には子どもがどうなろうがどうでもよかった。初めての妊娠はつわりが酷かったし、出産もとても楽だとは言えないものだったので、ようやくひとつの苦行から解放されたというような気分だった。ただ、吸ってくれる赤ん坊がいないので、乳が張って痛むことだけが悩みだった。
「ほんなら、さくにゅうをもろうてきますんで」
 世話女は嬉々として言った。
「何せ、母体の健康が一番ですけんね」
 そうして、翌日本当にどこかから搾乳器を持ってきて、安莉の乳を搾り、それをせっせと星名の本家に運んだ。そしてその日から、母乳が出なくなるまで毎日その往復は続いた。
「赤ん坊は、やっぱり母乳で育つんが一番ですけんね。安莉さんは乳の出がいいけん、赤ちゃんは幸せですたい」
 女は言った。
 ――星名の本家で、一体誰に赤ん坊は育てられているのだろうと思ったことはあるが、安莉はそのことを聞こうとはしなかった。どの世話女も、こちらから聞かないことは一切喋らない。たまに、聞いても教えてくれないこともある。ただ、赤ん坊は村の大切な財産として大事に育てられていることだけは確かだった。
 知ったことか――。そう安莉は思った。

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