マガジンのカバー画像

A Course in Miracles について

95
『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
運営しているクリエイター

#ワンネス

孤独感、絶望感、疎外感、恐れといったものはどこからやってくるのか?そしてどのように対処すればいいのか?

孤独感、絶望感、疎外感、恐れといったものはどこからやってくるのか?そしてどのように対処すればいいのか?

分離を強めるとは分離が強まれば強まるほど、孤独感、絶望感、疎外感、恐れといったものが増大していくことになります。

なので、分離感が強い人ほど、そうのようになりがちだといえます。

ちなみに、「分離を強める」とは、他者との分離を強めるという意味ではありません。

というのも、そもそも他者などいません。

「分離を強める」というその意味は、真の自己(本当の自分)との分離を強めるということです。

もっとみる
「想念はその源を離れない」の意味?

「想念はその源を離れない」の意味?

原因と結果は離れない想念はその源を離れない。

それはどういう意味なのか?というなら、いわゆる、原因と結果は離れないということです。

つまり、主体と客体は離れていないということであり、それらは別々なのではないのだということ。

それが、非二元というものです。

そもそもが、すべては一つである(一なるものである)ということです。

それを、「ワンネス」と呼んでいます。

つまり、知覚しているものと

もっとみる
非二元とは?そして、非二元を反映した知覚とは?

非二元とは?そして、非二元を反映した知覚とは?


想念はその源を離れない非二元とは何か?

というなら、「二つに非(あら)ず」ということです。

「二つに非ず」とは、分離していないということです。

「分離がない」ということは、想念はその源を離れてはいないということです。

想念はその源を離れない。

それは、原因と結果は離れないということを意味します。

実際のところで言うなら、自分(主体)と世界(客体)は分離していないということです。

もっとみる
帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません

帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません


わが家を忘れた迷子あるとき、ふいに、わが家の記憶を思い出す者たちがいます。

実相(ワンネス)であるわが家を一瞬だけ垣間見る体験をした人たちです。

それを、「一瞥体験」「見性体験」と呼んだり、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では「啓示体験」などと呼んだりします。

ただし、知っておかなければならないのは、それでわが家に帰ったわけではないということです。

コースの観点からいうならば、

もっとみる
果たして神は私たちを裁いたりするだろうか?

果たして神は私たちを裁いたりするだろうか?


『聖書』の神と『奇跡のコース/奇跡講座』の神とを混同しないことときに、コース(奇跡のコース/奇跡講座)学習者の中で、コースの教えと聖書の教えとを混同して、それらを同じ教えだと捉えてコースを学んでいるケースがあったりします。

なにせ、コース(奇跡のコース/奇跡講座)はキリスト教用語で書かれているということもあり、とくにコースの教えをよく理解していない段階においてはいとも簡単に聖書の教えと混同して

もっとみる
二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

自分と自分以外というものの見方ふだんの私たちは、この世界を認識するとき、自分と自分以外、というふに知覚しています。

自分がいて、自分以外の他の存在がいる、世界がある、というふうにです。

実際のところ、自分は存在しているし、その自分を世界が取り囲んでいるように見えているのが、私たちの通常の知覚の仕方だといえます。

そう、そこに見えているのが、いわゆる「二元性の世界」というものです。

そして、

もっとみる