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超短編小説集

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記事一覧

母の歯 (超短編小説)

母の歯 (超短編小説)

 還暦を迎えた私の口の中は歯周病でいつも腐臭を放っている。口が臭いと言って嫌われ、もう二十年ほど女性というものとキスしていない。
 疲れがたまると歯茎のどこかが著しく腫れてくる。触るとぶよぶよしている。いよいよ歯医者に行かなくてはならないか。そう思いつつも、人から聞いたとおりに食用重曹を患部に塗りたくる。
 二、三日それを続けると腫れは引いてしまう。結局、歯医者に行くのは億劫なままに捨て置き、口は

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アニキ

アニキ

幼い頃、遊んでると友達が「今日昼飯代もらえたか」と聞いた。「ばあちゃんが作ってるから帰って食べる」と言うと「おまえとこ、昼飯、家で食べるんか。ええなあ」と言われた。僕に万引きを教えたアニキ分?だが、彼のことは忘れない。

アミタの観た夢 (Xー3)

アミタの観た夢 (Xー3)

 心の中の陰鬱な雲間に陽が射した。
 第一志望の進学校の合格発表のために張り出された模造紙の列の中に、大勢の人たちの頭越しに自分の番号が見えたのだ。念のために手元の受験番号と発表された合格者番号を見比べて何度か首を上下した。間違いない。
 同じ中学から受験した友達が走ってきた。彼女も合格したらしく、手と手を取り合って、無邪気に飛び跳ねた。後で思えば、そのとき、左足の太ももに鈍痛が走った気がした。だ

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アミタの観た夢 (Xー2)

アミタの観た夢 (Xー2)

 命の糸の最後の一本が切れてしまわないうちに、あの「光に抱かれて」という曲に出会ったのは僥倖だったというほかない。
 中学生になっていた奈津子は、定期試験の勉強をするとき、深夜ラジオを聴くのを常としていた。幸い、学校の成績は優秀な方だった。せめて未来のある進路を切り開いて、世間を見返してやりたいという執念が、奈津子を勤勉さに駆り立てていたせいかもしれない。
 その日も奈津子は午前一時頃までラジオを

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たった五分の反抗期

たった五分の反抗期

 私は日本人の父とスペイン人の母の間に生まれたハーフです。父は仕事でスペインに来た際、通訳でサポートした母と恋仲になり結婚しました。
 父の日本帰国とともに、私たち家族は日本に移り住み、日本で生まれた私はこの美しい島国で、父と母のたっぷりの愛に育まれて育ちました。
 私はずっと父と母が大好きでした。母は私の父をとても愛していて、私にも「私の愛する人の子どもだから、マリアのこととても愛してるのよ」と

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アミタの観た夢(X-1)

アミタの観た夢(X-1)

(「アミタの観た夢」は、脳性麻痺の沙織が「健常者」と恋愛するのを夢見て生きる物語ですが、途中でふたりの他の人との出会いを経て、考えに波が生まれます。
その他のふたりの部分はいわば挿入的な小説のような形になります。
その部分をモデルの取材を経たばかりの今、先に形にしようとするのが、Xシリーズ、Yシリーズです。
最後には全部ひとつの小説に紡ぎます。)

 奈津子が五歳のとき、両親が離婚した。まだ二六歳

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もらえなかった風船

もらえなかった風船

小学校6年生のとき、アイススケートリンクの入口で小学生に風船を配っていた。おねえさんが僕に風船を渡そうとすると、もうひとりのおねえさんが「絶対中学生だ。渡さなくていい」と言った。
おねえさんは風船を引っ込めた。入口を通ったところに、お父さんお母さん弟が待っていて、小走りに追いついた。
弟は風船を持っていた。お母さんが「風船もらわなかったの?」と聞いた。「うん」「小学生なのに?」
僕はその時、何も成

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一度きりのお花見

一度きりのお花見

 そのとき僕は電車に乗っていた。快晴。線路わきの満開の桜が、時折り車窓を流れる。

 向かい側の席で妙齢の女性が、友人らしき隣席の女性に話しかけている。 「毎年、桜が咲くと、孫を花見に連れていったことを思い出すわー」
 初めは聞くともなく聞いていた。しかし、話の流れでそのお孫さんというのはどうやら亡くなったらしいと気づくと僕は耳をそばだてた。

 「二歳のときに一回だけお花見に連れていって、次の春

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何も起こらなかった沼

沼地に人が飛び込んだ。初めブクブクしていた。やがてそれも見えなくなった。僕は助ける自信がなかったのでそれを編集長に告げた。編集長は沼地の名前を「無意味な沼」から、「何も起こらなかった沼」に校正した。見ていた人すべてが納得した。

スナイパー

名スナイパーの僕と友人に決戦の時が来た。銃声がした。僕はそれは彼のいる建物奥からではなく、窓の外の森から聞こえた気がした。撃ったか?と叫んだ。撃ってないと返ってきた。わかったぞ。僕は彼を誘って壁の影に隠れ耳打ちした。僕らを対決させようとしている奴らがいる。二人で壁を背に銃をかまえ窓の外を覗っていると、目が覚めた。

対称性の破れた蝉時雨

久しぶりに会った友達がスマホからイヤホンで「対称性の破れた蝉時雨」を聴かせてくれると言うので、「誰の曲?」と尋ねると「体外離脱」と言うので聴かせてもらったら、イヤホンしてる自分の頭が眼下に見えたのでビビった。「シビウス裂の刺激きついやろ」と言っていた。

浄土の木

むかし、むかし、インドのある村にクマールとプラジュンという二人の男の子がいました。
おうちが隣どうしの二人は大の仲良し。
いつもいっしょに、水浴びをしたり、木のぼりをしたり、元気いっぱいでした。

ある日のことでした。
村に不思議な魔術使いがやってきました。
広場には、魔術師をかこんでもう大きな人だかりができています。

クマールとプラジュンは、大人たちの股の下をくぐって、一番前に出ていきました。

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岸のない河 2

(1)は私の書いたものではなく、ALISでしか読めません。

美紅へ

お手紙読みました。
卒業生が覚えてくれて、手紙をくれるのは、とてもとても嬉しいです。
ありがとう。

美紅たちの学年のことはよく覚えてるよ。
僕が卒業させた最後の学年だから。
美紅たちが卒業してもう7年だね。

卒業式の日に皆がくれた想い出写真のコラージュと、寄せ書きは今でもダイニングキッチンに飾っています。

それは僕の宝物

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雨蛙

(ロスアンジェルス 羅府新報 新春文芸コンクール 小説部門一席) 

 午後から急に重苦しい雲が空を覆い始め、やがてじとじと嫌な雨が降り始めた。雨具を持って来ていなかった私は、小学校の名前が大きく印刷してある黄色い傘を借りて、運動靴をまだ浅い水たまりに湿らせながら、帰宅してきた。

 玄関先で音をたてて、雨の滴に揺れる金木犀の厚い葉をふと見た。どの葉もそれぞれ、 雨の落ちる衝撃に上下して、 交響楽

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