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幸せをもう一度

私は学生時代はバリバリの理系でした。

専門は電気工学で、上場企業のプログラマーとしての内定をもらっていながら入社1日目から海外勤務を命ぜられ、3年間 経営や営業に関する業務をしました。

しかし経営学科ではなく、電気科を卒業して本当によかったと思うのは
ある一人の先生の一つのお話で気づきを得たからです。


電気と温度の関係の授業でした。
例えば携帯を充電すると、充電器は熱くなる。

ここから電気と温度が関係していることがわかり、電気をコントロールすることで温度をコントロールすることができるといいました。

人間は今まで温度に支配されていました。

熱いところには避暑地を作り、寒い地域には分厚い壁の建物と暖炉がないと生きていけません。

電気を調べていくことで温度を支配できるよつになったのです。またその逆も。

私は、前章で述べた通り
幸せ となにか について
考えていました。

人間がもし幸せが何かを知り、支配することができればどうなるのか?

幸せは何によってもう一度作れるのか(再現性)を考えました。

そして気づいたのが幸せの公式です。

幸せ=好きなことをする×人のやくに立つこと
  =貢献

この考えを持ってから
・好きなことをするとは何か?
・人の役に立つとは何か?

それぞれを考えました。
人を観察しました。

あの人はなぜ幸せそうなのか?
あの人は好きなことをやっているか?
誰の役にあの人立っていると思っているのか?

なぜあの人は不幸なのか?
本当は好きじゃないことをしてるのかな〜
周りの人は役に立っているというヒントをあげてるのかな〜?

役に立ってることを伝えるヒントとはなんだろうか?
言葉がないとダメなのか?
異なる言語でも通じるのはなぜか?


学生時代は複数の国に行くことがあり、色んな人種と、働く姿、恋愛の姿をみました。

幸せの公式が他の国でも成り立っているのか試しました。


もし間違いがあれば調整したり、全てを捨てないといけません。

でも幸せが何か少しでもイメージしていないと、幸せを見逃す気がしていました。

私たちはもちろん見たこと、聞いたことないものを探すことはできません。

ツチノコとは見たことのないものの象徴で、見つけられないものの象徴です。

部屋の中で白いものを探したとき、その隣にある赤い物を意識していません。
間違ったものを探しはじめると、間違ったものを得てしまいます。


幸せとは人それぞれである。
数学のように一つの答えがない。

数学に場合分けや、変数を使った数式で表すことができます。

幸せが人それぞれあるように見えるのは
人それぞれの好きなこと
人それぞれが役に立つと思う感覚

よってそれぞれ異なるように見えて、それらの共通点は自分の居場所や存在意義を感じたいのではないか?

友人、恋人、家族や初めましての人でも
その人を幸せにする考えは一緒なのではいか。


その1番カンタンで難しいと思うのが笑顔や挨拶です。
その効果や結果は前章の感謝経済②の通りです。
もし誰かが笑顔であれば、あなたはその場所に居てもいいという合図。存在が役に立ってるヒントです。


ただ、笑顔を続けたり、そもそも本当の笑顔を意図的に持つことが難しい。

なぜなら、なにも与えてもらってない人たちになぜ笑顔を見せ幸せにしないといけないのか?

ここまでは やり方 の話でした。
いわばテクニックです。

なぜ人を幸せにしたいと思うのか、これがあなたの人としての心の あり方。

気づける人しか気づけないものです。

続く。

コメントやスキを下さってる方へ
ありがとうございます!

誰かの役に立ってるのかなーと勇気をもって1日を充実することができます😋

今後世界を元気にするために活動を始めたいと思います