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切ない方が爪痕が残る。

昨日は、半年ぶりに会った友人と映画を観た。
久々に訪れた街は、少し景色が違っていた。階段から2回も落ちそうになって、あの色と物と人が混じり合う街中を歩くのがとても下手になっていると感じた。

しかも、映画館を間違えるという体たらく。
少し歩いたところに目的の映画館があったおかげで、映画自体には問題なく間に合ったのだが、なんというか世の中に順応できていない感が半端ない!
3人もいたのに誰も気づかないしね、どんだけゆるいのかしら。

そんなこんなで辿り着いた映画館で見た映画、

『窮鼠はチーズの夢を見る』行定勲監督・水城せとな原作

原作があることは知っていたけれど、読んだことはなかった。事前情報は切ないラブストーリー。人を好きになることで溢れる、喜びや苦しみ、幸せや絶望、安らぎ痛みそんな心理描写を繊細に映し出した男性同士の恋物語。
(※以下ストーリに触れてしまう可能性があるため、ネタバレ厳禁の方はご注意ください)

異性だろうが同性だろうが人を好きになることは、幸せだけでは終わらない。好きだからこそ知りたくない自分との出会いがある。底のないドロドロとした、這いつくばりながら近づいてくる暗渠のような洞。
相手を信頼、信用すればその洞から抜け出せるのかもしれないが、多分100%相手を信じるなんてことはできないのだと思う。どうだろう、できる人もいるのかもしれない。いるのかもしれないが、私はできない。
私が、相手を100%信じると言う時は、そういう自分を信じている時で、その判断を下し自分が傷ついたとしても、その傷を背負う覚悟がある時だけだ。
悲しいかもしれないが、決して相手を信じたわけではない。

この映画は、幸せであればあるほど影が付き纏っていた。
これまで相手の感情に流されて簡単に快楽を受け入れてきてしまった男と、ろくでもない男だと知りながらただひたすら一途にそんな男を想い続け、そんな男に愛されたいと願い続けながらその男の言葉も感情も信用できずにいる男。
幸せな時を過ごせばその倍、いや二乗の闇がのしかかる。
当事者なのだから当たり前だけど同性ということを一番枷にしていたのは当人達なのだろうな。

信用したいけど、信じたいけど、けど、だけど、だって、だからの渦の中はどんなに辛かっただろうか。
疲弊。その言葉に尽きると思う。

映画は、悲しみの中にほんの少し希望を残して終わりを迎えていた。
その先は?その先は観た人の数だけ答えがあるのだと思う。あれで終わりでも良いのだと思う。

友人達は、切なくて嫌だと言った。幸せのまま終わって欲しかったと言った。
考え方は人それぞれで良いと思うが、あえて私の意見を述べるのであれば、ハッピーエンドなんてくそくらえだ(別に友人の意見を貶しているわけではなく、当の本人にも私の考えは私の考えで伝えているのでご安心を)。
いや、みんな幸せになってくれたら良いのになって思いは常にある。

だけど、ハッピーエンドでないから胸に残る、しこりが残る。それが良い。ハッピーエンドは消化されてしまうから、作品というものは何か引っかかってくれた方が良い。
大学の教授が講義の中で言っていた。「文学は毒である」と。

それに、大団円の幸せの絶頂で終わるより、不幸の中に残るほんのわずかな可能性という希望の方が光って見える。幸せの残滓が美しい。
だから私は、ハッピーエンドよりこの終わり方の方が好きだ。

さて、色々語ってみたが、映画館のあのでっかいスクリーンで観る美しい男性同士の絡み合い、エロかった・・・。今は、ソーシャルディスタンスで両隣に人は座っていないけれど、両隣に人いたら呼吸音とか、唾を飲み込む音とか気になっちゃう勢いだったね。
映画終わった後はかしまし女子のガールズドーク。楽しかった。

でもね、もし映画の中で大倉さんが演じていたような男に私の大切な友人が惚れたら、とりあえず思いっきりほっぺ殴って、
「あかん!あかんで!恋に溺れたらあかんでーっ!!」
と、ダメもとで訴えかけようと思う。恋は盲目だから、どこまで届くかはわからないけれど、とりあえずは言ってみよう。

▼『窮鼠はチーズの夢を見る』

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