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読書感想 『「おふくろの味」幻想 誰が郷愁の味をつくったのか』 「本当の歴史の重要性」
おふくろの味。
言葉としては、随分と聞いたけれど、いつも、モヤモヤした印象があった。
それが解消されないうちに、おふくろの味、という単語自体を、あまり聞かなくなった。
そういう流れの理由が、この書籍を読んで、やっと明確に見えた気がした。
『「おふくろの味」幻想 誰が郷愁の味をつくったのか』 湯澤規子
男にとってはノスタルジー。女にとっては導火線。
その「味」は涙や郷愁を誘ったかと思えば、恋や喧嘩の火種にもなる。
2020年代では、すでに、こうした「火種」になること自体が、特に若い世代では少なくなっているような気もするが、それでも、「おふくろの味」という言葉の印象はまだ残っているので、もしかしたら、「おふくろの味」をなるべく冷静に正確に振り返り、それを読者が受け止めるには、ベストのタイミングだったのかもしれない。
例えば、「おふくろ」をめぐる三つの謎が提示されているが、どれも、確かに「知りたい」ことだった。
① 「おふくろ」という言葉はどこから来たのか?
「御袋」が高貴な人を産んだ女性を敬って呼ぶ時に家臣たちが使う「三人称」の言葉だったのに対し、「おふくろ」は男性が自分の母親に対して使う「二人称」の呼称へと変化した。
そして、「おふくろの味」が現れる。
初めて登場したのは、確認できた限りでいえば一九五七(昭和三二)年、初出は「味」とはいっても料理に係る書籍ではなく、扇谷正造が編集した『おふくろの味』という随筆であった。
つまり、「おふくろの味」という言葉はまず、言葉のプロたちによる母親イメージの表現として誕生したということができるのである。
その「歴史」をたどれば、最初にイメージとして登場したのは、その後を読み進めると、とても象徴的なことだと思えるようになのだけど、さらに、二つの謎についても、言及している。
②「おふくろ」と言っているのは誰なのか?
なぜ、男性は「ママ」と呼ばないほうがよいのか。また、なぜ男性は一人前の大人と思われたい時に「おふくろ」という呼び方を使うのか。それは、多分にジェンダーにもとづいた本人による使い分けがなされ、かつ周囲にもそれが求められているからと、説明することができるのである。
そして、こうした「歴史」の再検討をしたときに、明らかになることが多いのだけど、「伝統」と思われていたことが、意外と新しいのが分かる時があって、それは「おふくろの味」についても例外ではなかった。
③「おふくろの味」は誰がつくっていたのか?
火を扱う「御飯あつかい」は、その家ではたまたま早起きなおじいさんが担当するということや、当時の炊飯にはかなりの時間がかかっていたということ、そして、ほとんどの家では毎食温かい食事をするわけではなく、煮炊きの機会は日々の労働との兼ね合いで限られていたことなどがわかる。
つまり「お母さん(だけ)がごはんをつくる」という姿やイメージが日本社会に広く定着するのは、高度経済成長期以降であり、比較的新しい出来事だと考えられるのである。
もちろん、高度経済成長期は、すでに、50年も前になるのだから、若い世代にとっては、自分が生まれる前のことで、十分に古いことだと感じるはずだが、以前は、何十万年も、お母さんがご飯を作ってきた、というCMがあるくらいだから、そのイメージと比べると「新しい出来事」といっていい。
「お母さんがごはんをつくる」という呪縛
それに、「おふくろの味」という幻想は、こうした呪縛を強化してきたと思えるから、歴史を検討し直すことは、その呪縛を解くためのきっかけにはなるかもしれない。
歴史をひもとくと、味噌や焼餅や漬物などはいずれも母親や女性が担い継承してきたものではなく、もとは家族総出で、あるいは地域全体がその調理の過程が関わってきたことがわかる。
「肉じゃが」の意味
以前よりも減ってきたとはいえ、今でも、「肉じゃがは、若い男性にアピールできる」というノウハウは、たまに目にすることがある。それは、「肉じゃが≒おふくろの味」という「常識」が意外と根強い証拠でもあると思える。
レシピとして確認できるのは一九六四年のNHK『きょうの料理』のテキストの中が最初である。
その「肉じゃが」が急速に意味を持ち始めたのは、さらに、その20年後のことになる。
もとは家庭の料理というよりも、居酒屋の一品として始まった料理であるらしい。
ところが、一九八〇年代になると、肉じゃがは急に「おふくろの味」、「懐かしい家庭の惣菜」などと紹介され始め、多くの日本人がこの料理名を「家庭」と結びつけて認識するようになった。魚柄仁之助は「たった五年から十年くらいで急に懐かしの味になるというのもおかしな話」と述べている。
そして、こうした「事実」も、少し経つと忘れられ、気がつくと、もっと歴史があることのように、社会に「判断」されてしまう。
肉じゃがの歴史はそれほど古いわけではないにもかかわらず、懐かしさや親しみや郷愁を織り交ぜて、男性の情緒に訴えかける味という物語によって、「肉じゃがはおふくろの味の代表格である」という認識や世界観が一九八〇年以降、急速に形成されてきたのである。
「おふくろの味」という幻想
この書籍によると、高度経済成長期以降に、大量に上京し、故郷を離れた人々が、自分の馴染んできた味が、その地域独特のものであることを知るようになり、それを求めた時に、たどり着くのが、「おふくろの味」を謳い文句にしている「地名食堂」といわれる、「故郷」の地名を冠した飲食店だったのではないか。
そうした説得力のある推察もされていて、そういう社会的な動きも「おふくろの味」の幻想を定着させたことに貢献しているのではないかと思えるが、やはり、マスメディアによるイメージの拡散も大きかったようだ。
「おふくろの味」が料理本の中に登場したのは、ようやく一九六〇年代に入ってから出会ったという事実は、あらためて注目される点である。
辻勲と土井勝、この二人の料理研究家によって、一九六〇年代に「おふくろの味」という言葉とイメージ、そしてレシピの基礎と土台がしっかりとつくられた。
そこへ、テレビドラマの演出などによって、さらに「おふくろの味」のイメージは、社会に定着していくのだが、21世紀になると、その名称が使われる機会が急速に少なくなっていく。
ジェンダーの問題、性別役割分担の議論に関わって、非難の対象になることが多くなった。
そうした問題に配慮したためか、「おふくろの味」ではなく、「おばあちゃんの味」と言い換えられて、これまで「おふくろの味」として掲載されてきたレシピ本が、あらためて出版されるようにもなった。おばあちゃんキャラクターが中心に据えられた、初心者向けの料理番組の人気はむしろ高まっている。
そして、「おふくろの味」のイメージは、消えつつある。
二〇〇〇年代に入ると、料理関係の書籍のタイトルから「おふくろの味」という言葉は影を潜めていった。振り返ってみると、一九六〇年代に初めて料理本に「おふくろの味」と冠されてから、わずか四〇年の間に現れ、増幅し、定着し、錯綜し、消えていった言葉であったと知り、驚きを隠せない。
この書籍には、この40年の間の増幅や、定着や、錯綜も、さらに具体的に書かれているので、「おふくろの味」が幻想だったことが、実感として感じられると思うので、ここまでのあらすじのような紹介で興味を持ってもらえたら、ぜひ、手に取って、全部を読んでもらいたいと思っています。
おすすめしたい人
「おふくろの味」というものに、モヤモヤしたものを感じていた人。
どうして家族の中で、私だけが食事を作ることを当たり前のように要求されるのだろうか、といった疑問を持っている女性。
食文化に興味がある人。
「歴史」に興味がある人。
「伝統」というものを、改めて考えたい人。
そうした方々に、特におすすめできると思います。
(こちら↓は、電子書籍版です)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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