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裏切りという感情は信用からうまれる

人間関係や人付き合いにおいて「信用」や「信頼」というのは重要だとされがちですが、私はまったく重要だと思っていません。

あればあったほうがいいかもしれませんが、信用や信頼なんてあってもなくてもどっちでもいい程度です。

そんな「信用」や「信頼」の意味ですが大辞林 第三版では、

信用
(1)人の言動や物事を間違いないとして、受け入れること。
(2)間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。

信頼
ある人や物を高く評価して、すべて任せられるという気持ちをいだくこと。

と解説されています。

家族や友達、趣味仲間、仕事仲間のほか、仕事における人間関係では、たとえばお客様、取引先といった上司、部下、同期といった同僚以外の外部の人付き合いなどもあります。我々は普段から、たくさんの人間関係を構築した上で生活をしています。

とりわけ、学生の場合は学校、社会人の場合は仕事になりますが、生活の中で多くの時間や人と接する環境においては、人間関係や人付き合いによる自分自身への影響も大きくなります。

そして、人付き合いでよく言われがちなのが、相手の信用を得ようであったり、相手から信頼される人間になろうであったりします。

私自身も、かつては飲食や販売といった接客業に加え、バリバリの営業会社で営業マンをやっていた経験もあります。

そういうところでもやはりよく言われるのが「お客様からの信用を得よう」「上司から信頼されるようになろう」というようなことです。

間違ってはないですし、それは必要なことだとも思います。それ自体を否定はしませんが、それがそんなに重要ではないということです。

信用や信頼されなきゃ!と思い込み、信用や信頼を勝ち取ることこそ正義で重要だという価値観になってしまうと危険です。

先に紹介した言葉の意味をおさらいしてみましょう。

信用は、
・人の言動や物事を間違いないとして、受け入れること。
・間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。

「間違いないとして」というのが大きなポイントです。つまり、間違いがないことが前提で信用というのは成り立っています。

もし、間違いが生じたらどうなるでしょう。

そうです、崩れます。
ーーーーー信用は崩壊します。


信頼の意味は、ある人や物を高く評価して、すべて任せられるという気持ちをいだくこと。

高く評価して任せる気持ちをいだいているだけです。これももし高く評価していたことが間違いだった場合はどうなるでしょう。

任せる気持ちなんてなくなりますよね。
ーーーーー信頼は崩壊します。


つまり、信用も信頼もたくさんの努力で積み上げてきたとしても、何かのきっかけであっという間に崩壊する可能性があるということです。

しかも、信用や信頼する側は案外軽い気持ちで信用や信頼をしてきます。しかし、もし自分にとって不都合や被害を被ることをされてしまうと「信用していたのに!どういうつもりだ!」と責めてきます。信用や信頼したのはそっちの勝手なのに、こっちに責任転嫁をしてきます。

悪い言い方をすれば、信用や信頼はする側の自己満であり、もし何か問題が起きた際に相手に責任転嫁するための保険なのです。

そんなもの本当にいりますか?

たくさんの時間や費用、試行錯誤、相手への思いやりなどをつぎ込んでも、もし自分や勤務先がしくじってしまえば、一瞬にしてなくなるものを重要視する必要ってありますか?

私自身はまったくないと思っています。

むしろ、信用や信頼はポジティブな言葉ですらないと感じるほどです。

では、信用も信頼も必要ないとして、どうやって人間関係や人付き合いをしていくのか、という点ですが、私は「尊敬する、尊敬される」というのが重要だと思っています。

ちなみに尊敬は大辞林 第三版で、
(1)人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと。
と、解説されています。

尊敬する相手に対しては、ほぼ丸ごと相手の存在を受け入れることができます。

そのため、相手を否定する感情がうまれにくくなります。信用や信頼と異なり尊敬は崩壊しません。

また、信用や信頼と違って軽い気持ちで尊敬の念を抱くことはありません。

平たく言うと、信用や信頼は最初のハードルは低いけどあっさり崩壊してしまう、尊敬は最初のハードルは高いけど強固な関係を築けるかの違いです。

つまり、信用や信頼ではなく尊敬される人になろう!信用や信頼をするのではなく、相手を尊敬しよう!という気持ちでいることが重要で、私自身もそう思っています。

たくさんの人間関係があるので、すべての人間関係で実現させる必要はありません。一部の人から尊敬される、それで十分ですし、自分自信もすべての人を尊敬する必要もありません。少なくても本当に尊敬できる人がいればいいでしょう。あるいは、相手に対して小さな部分でも尊敬できるところを見つけ出すことができればいいでしょう。

信用や信頼は問題が生じたときに相手に責任転嫁をしてしまうといいました。でも、尊敬は相手に責任転嫁をすることはありません。自らが自らの価値観において相手の存在を認めうやまいます。だからこそ、尊敬されることにも大きな価値が生まれます。

信用や信頼がまったくいらないとは言いません。

でも、人間いつどこで間違いを起こしたり、間違いに巻き込まれたりするかもわかりません。

不確かな気持ちでしかない信用や信頼をコツコツ積み重ねることよりも、相手にとってもしくは自分自身にとって存在を認め合える、そんな人間関係を構築できたほうがいいと思いませんか?

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