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エッセイ・コラム

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#記者

記事の捏造は他人事にあらず

記事の捏造は他人事にあらず

記者として仕事をしていると、時々デスクを中心に「無理のある注文」がやってくることがある。

デスクはデスクで編集部の偉いおじさんから「この情報はないのか」「これをいれろ」とか言われて我々記者をせっつくことになるのだが、時に「これはさすがにちょっとな」というケースもある。
取材先の方にはそのたびに「これこれこういう事情がありまして」と説明してなんとか先方に納得してもらうわけだが、いざ記事が出てみても

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取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

ふと思ったのだが、大手メディアの記者は、基本的に断られる経験をあまりしていない。
取材を申し込めば「ぜひ」と相手も乗り気であることも多い。いうまでもないが、それは当然取材先もパブリシティという形で利用できると考えるからである。都合が悪いものではない限り、基本的にウェルカムな状態で受け入れてくれる。そうでなくともとりあえず相手にしてもらえることは多い。

断られたり無下にされる経験を知らないと、人は

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「語りえぬものについては沈黙」しているか

「語りえぬものについては沈黙」しているか

記者の仕事の大半は取材である。記者会見なんかで演説よろしく弁舌をふるう記者がワイドショーをにぎわすこともあるが、個人的には取材は「聞く場」であり「話す場」ではないと思っている。
話したいのであれば弁士にでもなればいいわけで、新聞や雑誌の記者であれば、伝えるべきことは活字で表現すべきである。

なぜ取材で人に聞くのかといえば、ひとえに「よくわからない」からである。
仕事柄わからないことを何とか理解し

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記者ごときに世界観などない

記者ごときに世界観などない

よくマスメディアの記事を読んで、「くそみてえな記事だ」とか「読むに値しない」「つぶれろ」という批判をするひとがいる。
そうした読者の声は大半の場合ごもっともであり、いち記者としては読者があらゆる記事に対して批判的であってほしいと思っていたりもする。

はて、なぜこうした批判が起きるのかを自己批判的に考えてみると一つの解にぶちあたる。

それは「メディア関係者に大した世界観がない」ということである。

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時を経てわかること①~言葉をそのまま信じる愚かさについて~

時を経てわかること①~言葉をそのまま信じる愚かさについて~

就職活動をしていたとき、地方の新聞社の採用の質問コーナーで「遺族取材って社会的意味あんの?」と聞いたことがあった。

もし私が同じ質問をされたら「社会的な意義がないと思うなら、君はなんで遺族取材するとわかってる新聞社なんか受けるの?社会的な意義があると思うようなほかの仕事すればいいよね。そもそも君の思う社会的意義って何?」と意地悪にいうのだろうが、当時はまだまだ青かったのである。

幸いにも質問に

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意志なき言葉は不誠実

意志なき言葉は不誠実

「書き言葉に誠実でありたい」

そう語ったのは、芥川賞を受賞した宇佐美りんさんだ。

メディアに携わる一記者として、誠実に言葉をしたためるということはなかなかできていない。「そこまで騒ぐことなのか?」ということについてもあーだこーだ騒がないといけないというのが、雇われている記者の宿命だ。

毎日の新型コロナの感染者なんかはその好例だ。何人であろうととりあえず報道する。
金利のちょっとした動きもそう

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