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小学生との日々

子どもが小学生になったということで、赤ちゃんの頃に比べたら、生活にかなり余裕が出てきたように思う。赤ちゃん時代は常に、いつ泣くか!というハラハラした気持ちで過ごしており、何をしていても、赤ちゃんが泣くと強制終了になるという緊張感のある時代だった。

そういった時代が終わり、今は急に泣き出されることもなく、予定を立てられるような生活になった・・・。しかし思ったような余裕がない。なぜ。小学生のいる生活は思っているよりも忙しい。それはできることが増えているにも関わらず、子どもがやらないから。小さい頃はできないことが多くて援助する出来事がたくさんあって手間がかかる。小学生になるとできることは格段に増えるくせに、子どもが自発的にそれをすることはほとんどない。

例えば食事ひとつとっても新生児の頃は母乳を飲むことだけで精一杯だし、げっぷまで親がさせてあげなくてはいけない。これは、食事をするという行為がまだひとりではできないので、たくさん援助をしてあげなくてはいけないということ。

小学生になると1人で食事をすることができる。箸を使って自分で食べ物を口に運び、咀嚼して、飲み込むことができる。なんなら、食器をシンクに運ぶことまでできる。でもやらない。ご飯の準備ができても、食卓に集まらない。そこでひとつ手間がかかる。赤ちゃん時代のように、抱っこしてひょいと連れてくることもできない。力技が使えないというのもなかなか辛い。時間がかかる。食卓に来るまで待つ時間に加えて、何度も「ごはんできたけど!」「ごはんの時間だけど!」という声かけをしなくてはいけない。これすごい疲れる。作るだけで疲れ果てているのに、ごはんを食べさせるために食卓につかせることでさらに疲れる。

やっとこさ子どもが食卓に揃う。食べ始めてからも油断はできない。うちは女児ばかりだが、食べるより話すほうが好きなタイプだ。最初はお腹が減っているのでがつがつと食べているが、空腹がある程度満たされると、トークの時間となる。これが恐ろしく長い。いや、いいの。子どもが学校であったこととかい家庭で話す時間が大事だということはわかってる。本当に大事。家族の時間。でも、ごはんが終わらない=片付けられない=私の仕事が終わらないということなの。とりあえず早く食べ終わってからお喋るタイムにして・・・。しばらくは我慢しているけど、最後は「喋ってる暇あるなら食べなさい!」と渇をとばして、険悪なムードで食事終了となる。これが毎日。疲れる。今日も楽しい食卓を提供できなったという罪悪感と共に食器洗いをする。

食事ひとつとってもこんな感じ。全てにおいてこんな感じ。子どもが家にいる時間は赤ちゃんの頃に比べたら短くなったけれど・・・疲れる。

そして学校に行っている間だって何もないとは限らない。知らないうちにトラブルを持って帰ってきたりするので、その対応もしなくてはいけない。学校に行っているからと言って、親としての仕事を放棄してもいいというわけではない。学校に行っている間は少しの間、責任を先送りできているだけで、帰ってきてからその「責任仕事」をこなさなくてはいけない。

だから一時的に気が休まる暇があるのは嬉しいのだけれど、やはり気が抜けない。毎日子どもを心配をする日々は続いている。

だから余裕がない。「毎日、生花を飾るようにしています。」とか微笑みながら言ってると思ってた。子どもが小学生になったらそんな余裕ができると思ってた。嘘だった。そんな余裕ない。

いや余裕はあるんだよね。赤ちゃんの頃に比べたら、よっぽどある。でも、ちょっとなんだよね。離れていても大丈夫という程度で、基本的な子どもに対する心配は変わらない。だから、離れていることで余計に心配度がアップする。という感じ。

赤ちゃんの頃は自分で全部見てたから、離れている時の大丈夫かな。ちゃんとやってるかな。という不安はなかった。小学生になるとそれが追加される。

この感じでいくと、余裕のある生活はまだまだ先だな・・・。先は長いな・・・。と、大変だと思いながらも、少し嬉しく思ってる自分もいる。

私を幸せにしてくれる全てを愛しています♡