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変、わたし

新しい服が届いた。今まで着たことのないような服。合っているとか、合っていないとか、分からないことは無視した。思っていたよりも色が暗くて、思っていたよりもオーバーサイズで、思っていたよりもよかった。今日は、予定が二つしかなかった。しかも、二つとも頑張らなくていい予定だったから、頑張らずに生きた。買ったばかりの服を着て、適当な靴下を履いて、ちょっとだけ靴を磨いて外に出た。誰もわたしのことなんて見ていない。寂しい都会の空気、今日だけは好きだった。

新しい服って、どうしてこんなにもわくわくするんだろう。服は着飾るためのもの、とか、見栄を張るためのもの、とか、みんな色々言うけれど。わたしにとって、服、って。何度も考えてみたけれど、分からないこと。着飾っているつもりはない、かといって、服に無頓着なあの子のことも理解できない。たぶん、お気に入りの服を着ることで、わたしはわたしを表現したいだけ、なんだと思う。言葉と同じ、わたしを表現するもの、そして、触れてもらえるもの。新しい服にわくわくするのは、わたしが変化するから。そんな単純なことのような気がした。いつもの散歩道で見つけた、新しいわたしのこと。

開けた耳が安定しない。と友人に言ってから二週間。もうすっかり安定してしまった。ピアスをずっとつけっぱなしにしていた時は、なかなか安定しなかったのに。二日に一回のペースにした途端、わたしの穴は閉じないという選択が正しいことに気づいたらしい。身近なものを失ってからその大切さに気づく、わたしの体はどこまでもわたしだ。

扇風機に埃が溜まってきた。最近掃除したのに、と思うことばかり。最近、がだんだん遠くなっている。毎日が早い。新しい仕事、頑張ります、とnoteに書いていたあの人は、近頃は上司の愚痴ばかり書いている。わたしも、なにか変わっているのかな。なんとなく過ぎていく毎日に追いつけなくて、それとも、追い越してしまって、今を生きている感覚がない。わたしのことも、相変わらず大切にできないままだし、やりたいと言ったことはひとつも達成できていない。ちゃんとした大人、ちゃんとした生活、ちゃんとした人間。いつになったら、わたしは今のわたしを肯定できるようになるんだろう。

たぶん最近。頑張っていることを本当に頑張り続けるべきなのか悩みました。仲間、とか、他者貢献、とか、自分の持つ熱が「普通」や「組織」とどれぐらいずれているのか把握できなくなった。ずれているのはいつものことで、ずれているから面白くて、ずれているわたしにしかできないことがあって、という謎の過信が、全部消えた。自分を否定し続けて、だんだん何も残らなくなってきた。あ、ここにわたしの居場所はない、って、気づいてしまった。居場所を作るか、諦めるか。結局、諦められなかったわたしは、また最初からひとりで戦っている。苦しいは、どこまでいってもなくならないね。

人に怒らない人のことを心底尊敬している。でも、怒らない人の口から出る言葉は、わたしの思考からはほど遠くて。単純にびっくりしてしまった。「怒るのって、疲れない?人に感情を使う気力がないんだよね。」。怒りって、感情を生む、じゃなくて、消費する、なんだね。

わたしは、隣にいる知らないあなたのことを、あなた、だと思っている。けれど、世の中の人は、隣にいるわたしのことを、他人、として認識しているらしい。知らなかった。わたしの世界が変だ、と言われる理由、そっか、そうだったんだ。

冷たいね、と言うのは悲しくて。ありがとう、と呟くのは惨めで。どうして、という気持ちをぶつけるのは孤独で。だれとも交われないような気がする、いま、ここにいる、わたし。

前向きな言葉で終われなくても、わたしは続くし、あなたも勝手に生きているし、都会は冷たいままだし。都会、わたしのことを知らないまち、こんなわたしのこと、隠してくれる、わたし、ここにいてよかった。





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