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宝島での最後の時間を噛みしめながら過ごした話
2019年の年の瀬。島を離れる決断からの時間、移住してきてからの9年を振り返ってきた。色々なことを感じ考えて、暮らしてきた。時を忘れさせる島は、きっちり忘れられないでいる。強くない僕は、無い物ねだりをし続けてしまう。医療が充実していれば。島民の意識が変われば。行政が変われば。僕たちは何をどうしたら。
特に、最後の3ヶ月。昨年末の青年団の忘年会では、数年ぶりにタバコに火をつけた。吸うことに意味はな
美江子さんが島を離れてから思い出していたこと
美江子さんとのこと2011年5月に鹿児島市内の老健施設から、宝島で介護サービスが提供できるようになり、「母ちゃんを島に連れて帰りたい。」とご家族の意向もあり、出身地小宝島の隣にある宝島に戻ってこられる。当時、ご家族は「鹿児島の施設では、地理的になかなか会いに行くことが難しい。宝島であれば、船便に合わせて顔を見ることができる。」と話されていた。
当時の宝島からすれば、片麻痺の車椅子の高齢者が島で暮
「見守り支援事業」に対して提案したこと
そして、年度が変わる頃、高齢者支援のため、対象が異なる複数の事業が立ち、少ない島民を分ける形なっていた。簡単には言い表せない、人間関係も含む、複雑な事情もあった。
また、十島村は7つの有人島があり、一つの行政で7つの島をまとめる。各島の状況が違う中、少ない職員で取り仕切ることは大変なのはわかる。
そんな中、高齢者の支援体制に、僕は思うところがあり、あえて下記のような提案をした。しかし、思うよう