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宝島へ移住し、島民になり、人に向き合い続けた10年を振り返って

年内に締めくくりたくて、後半は足早になったけど、この振り返りの時間が、これまでの僕の宝島での暮らしを、これからの糧にする時間だったと思う。リアクションしづらい内容も含めて、とりあえず、一区切りまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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そういえば、僕の連日の投稿を見て、僕が移住した頃に中学生だった方からメッセージが届いた。その子の両親もIターン。娘の卒業とともに、家族で転出されていった。宝島はこれからも、様変わりしていくと思う。僕はいつか送られた言葉を、彼女に送った。「島は逃げない。逃げるのは自分だ。」僕や僕の子供たちも、また宝島を帰ることを目指すときがくるのかも知れない。「宝島に、私の嫌いな人はいない。」愛娘のふとした言葉に、それを感じる。

宝島も少しづつ変わってきている。お盆には自治会が出店を用意してくれている。資源ごみも分担し、支え合える場面も見えてきた。変わったというより、昔の宝島に近ずいているのかもしれない。

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僕は、本当に大事にしたいことは、写真には残せないのかも知れない。これまで、たくさんの写真を撮ってきたけど、シャッターを切れないこともあった。たからを利用されている親戚の美江子と喜義さんのお宅を訪問した。「天国から、祝っています。」喜義さんの言葉。自分の寿命を悟られていたのかもしれない。いつも遠慮なしに写真を撮ってきた僕だけど、このときはシャッターを押せなかった。「元気になって、帰ってけぇよ。」美江子さんの言葉に、勝手に喜義さんとの最期の別れになるかもって感じてしまった自分に複雑な思いになった。

送別会で、数年前に帰ってきた祐喜さんから、「爺さんと婆さんを、ありがとう。」と声をかけられた。喜義さんを囲む、ご家族、親戚、スタッフ。今でも心にのこる、あたたかい雰囲気を近くに感じた。

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撤退について、僕はシマさんのご家族に話をした時、「ありがとう」と言われた。涙が止まらなかった。「ヨネも、行くのか?」去る者追わず。移住当初に聞かされていたそれが、なぜかありがたかった。ものすごく後ろめたかったからだと思う。

事業所を利用されているご利用者のこと、僕の中で「預かっている」とは、ニュアンスが少し違うのだけれど、担っているものが大きいから、「責任」と言う、時に厚かましく、時に逃げたくなることに、潰されそうになった。そんな時、一緒に悩み、考えてくれる方たちがいるから、声をかけ、支えてくれる方たちがいるから、また、前を向こうと思えた。

僕らが掲げている理念、目指したゴールではなかったかもしれない。僕は理念にある「最期まで」を強く意識してきた。法人内の他の事業所ではできていることで、環境に違いがあれど、それができないのは、私の力不足だ。それは、今まで見送ってきた方たちの思いでもあった。その思いを、自分たちのビジョンとして、島民や行政に描かせることができなかったのは、紛れもなく私の力不足。

撤退についての住民説明会が行われた。僕からは話すことはないと思っていたが、最後にそんな話をした。そして、自分自身の気持ち、情熱を維持するのが難しくなっていることも伝えた。黒岩さんと2人で泣きかぶるのは、僕の結婚式以来だろう。

すると「島民の声」が聞こえてきた。当事者意識を感じる会議になったのは、久しぶりだったかも知れない。その会議で、今回の決断は最善ではなかったかもしれないけど、最悪でもなかったと思えた。

最後の日が迫ってきた夜勤の夜。「もう行っちゃうんでしょう。」シマさんが夜な夜な起きてきて、毛糸の帽子を手渡してくれた。散歩してた時に不意に言われた言葉を思い出した。「あんたがいると、守られてる気がする。」僕は、支えられてきたのは僕の方だと思った。出会ってから、9年。そして、激動の1年。シマさんはずっと、一番近くで見守ってくれていた。

「よかしごとしたよな。我がたちのおかげじゃった。」「寂しくなる。」「またおいでよ。」タミ子さんは、繰り返しそんな言葉話される。

「頼ってばっかいじゃいかん。男もおるんだから。」数年前に清吉さんを亡くされたソノさんは、そんなことを話された。

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次の事業所に引き継ぎを準備する中、役場や診療所への感覚も少しずつ変わってきた。ある意味、客観的に見えてきたのかも知れない。色んなことがあったけど、最後にバランスするんだろう。残っている気持ちが、感謝でホッとしている。もちろん、宝島に対しても。

島でのみとり。変えられない現実があったとしても、それは僕の志事(志したこと)として、宝島で暮らしていくゴールだった。でも、勘違いしていただきたくないのは、僕のゴールであって、それが見送ってきた全ての高齢者の想いではないということ。「充実した医療を受けたい。」「本土に家族がいる。」当然、それぞれの方の想いがある。僕は「住み慣れた島で最期を」という選択肢を作りたかっただけだ。生き様、死に様に学んだ日々。宝島の皆さんの暮らしぶり、生き方に多くのことを感じ、学んだ。人生をこんな風に過ごしたい。その答えが見つかった気がする。ただ、まだまだ挑戦してみたいこと、見てみたい世界、子供たちに見せたい世界があり、宝島を離れる覚悟を決めた。

あのとき逃げていたら、今の前向きな感情ではない。逃げたくなった瞬間の数々を思い出す。小規模多機能ホームたからでの業務以外にも、米作りや柔道クラブ、養鶏。迷惑をかけてしまうこともあるのではと、悩み続けた。ただ、それを決めてからの宝島はこれまで以上に美しく、あれだけ悩まされた人間関係も、愛おしく思えた。

これからも、家族、子供たちにとって、宝島は「ふるさと」だ。お世話になってきたスタッフと直志さんと酒を交わしながら語った。2人での立ち小便。「忘れられない想い出を、つくっていった。」と語られたが、その想い出に「介護」のことは全く出ず、米作りのこととか、合鴨のこととか、鶏のこととか、不発に終わった花火大会のこととか。それでよかったんだと思う。

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この前は、いつもの平浩さんとの「軽トラ談議」この前は、短く「焼肉してやるから、連絡しろ。夜は面倒だから、昼。家族も連れて来い。」一瞬一瞬が心に残る時期なのかもしれない。

最後の1日

最後を迎えた今日、朝礼での理念の唱和。いつもより、3割り増しの声だった。近所の葉子さんが、「冷蔵庫にあったけど、食べんのよ。」と、食べ物を分けに来てくれる。ちょっとだけ、年度末の色々に追われるながら、いつも通りの「たからの時間」が過ぎた。

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青年団では会計を預かった。昔から、そういう役をふられることがあるが、実は好きでも得意でもない。黒岩さんからは、「お小遣い帳レベル」と何度も叱られた。スタッフの松美さんが昼食を一品多めにしてくれた。大好きな島らっきょうの天ぷらだ。リクエストしたけど、さすがに先日のスタッフからの送別会に出たハンバーグは出てこなかった。何れにしても、想い出の味だ。

午後、いつも散髪していた四元さんがひょっこり現れる。いつものように散髪。いつもと変わらない一日だった。「米倉くんが来て、青年団が明るくなった。」変わらず、褒めちぎって帰られた。

仕事としては、最後の訪問。スミ子さんにお礼を伝えた「ありがとうございました。岩義さんのときから…」泣かないつもりだったのに、走馬灯のように想い出がよみがえり、声がつまった。スミ子さんは、言葉少なく、天井を指差して「ありがとう」と。夏に黒岩さんやスタッフと張った天井だ。

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最後にタミ子さんの家に。望さんは、「早う請求書出さんと、払わんぞ。」真面目な顔で、本気のような冗談を言う。「この子が1番好きじゃった。」いつも言わないこというから、「嘘つけぇ。」と涙目で言う。そんな僕を見て、爆笑する娘の冬子さん。「あわれなか。子供にお菓子を持っていけ。」とテーブルのお菓子を握らせようとする。いつもの家の中の様子だ。「体に気ぃつけぇよ。」捨て台詞が優しい。

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帰り間際、スタッフの川原さんが贈り物を準備してくれてた、「ワインは家にあったのだから、SNSには…。」素晴らしい気遣いだ。笑。

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これまで動画を作ることはあったけど、作ってもらうこと少なかった。「僕の写真が少ない。」って言われるのも分かる。みんな共通して、いつもご利用者の輝く姿を撮ってきたということだろう。「また遊びにくるね。」とシマさんに伝えて事業所をあとにした。いつか言ってみたかった。実際、明日も遊びに行くだろう。

色んなことを一緒に企画してきた、青年団の兄貴分、裕一さんから、サシ飲みのお誘い。宝島では最後になるかも知れないと思うと、ちょっと寂しくなった。裕一さんも、今年で定年退団だ。月日の流れを感じる。ただ、裕一さんの余興部長は、老人会に入るまで続けて欲しい。そんな話をした。

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僕は最初から介護士を目指していたわけではなかった。この10年で、自分の人生の軸に出会った。とも言える。黒岩さんは、僕を「チームプレーができない。普通の会社じゃ、他所では働けない。」って言う。僕もそう思う節がある。でも、それでいいと思っている。もう少し、この会社でお世話になる。次のステージは、ベトナムだ。

家に帰ると風呂上がりの全裸でハイテンションな子供たちが、妻に諭されて「お疲れ様。ありがとう。」と言ってくれた。今夜は、妻ともゆっくり語りたい。もらったワイン飲みながら。

最後に、経験不足の私をフォローしてくれている仲間、宝島で出会った皆様、全国から見守って下さっている皆様に、この場を借りて感謝の意をお伝えしたい。宝島で過ごした人々は、島を去っていった後も、亡くなった後も、あらゆる場面で語り継がれる。いつまでも誰かが覚えていてくれる―。私もその中の一人になりたい。

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