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島で看取る動きに対しての周囲の反応

家族の想い

 最初は、「短命にさせてしまうのでは」という気持ちがあったが、自分たちの父親を、施設内で孤独に亡くした経験から、最期を独りで迎えさせたくない。今のまま鹿児島の施設や病院だと、数ヶ月に一回の面会しかできない。島に連れて帰りたい。

離島であるため、亡くなった後のことが心配である。家族だけでは対応できないために、他の島民に迷惑をかけてしまう。本人が希望していなかった胃瘻であったが、宝島の帰って来るために、胃瘻をつくった。

 自身のご家族を看取られた経験から、入浴に対して、そこまで必要性を感じていない。島で看取りを行うことに対して、地域から「(色々な考えがあるから)何か言われるだろう」と予測している。

(本人を島で看取った場合)島民に対して、「宝島でも最期を迎えられる」というモデルを示せるのではないか。診療所からの適切なサポートが受けられるか不安。

 過度な医療は必要としないが、何もしないのではない。できる限り、最低限の水分補給(点滴)をしてほしい。痛みの緩和をしてほしいが、他の医療的行為(お薬)は望まない。

(事業所として胃瘻を受け入れられないのであれば)帰ってくるための手段として、胃瘻を外して、他の方法(経口・点滴等)で水分や栄養を補給してほしい。 誤嚥のリスクがあったとしても、黒砂糖や刺身の味を感じてもらいたい。

甘いコーヒー、甘い卵焼きが好きだった。「(本人としては)苦しいより、食べたいのが先だろうと思う。」特にイベントのようなことではなく、ふれあいを大事にしたい。

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カラオケや宴会などが好きだった。賑やかな場所で過ごしてほしい。これまで通り、ガヤガヤした中で、その場にいてほしい。

地域

自治会長から(自分の祖父を島で看取った経験から)「家族の意向なら、それでいいんじゃないか。(これからの課題については)みんなで考えればいい。」

「(ご遺体の安置所は)コミセンの和室でいいんじゃないか。畳の上に安置した方がいい。」

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そんな4月の末、美江子さんが鹿児島の病院でなくなる。

この年の春、たくさんの別れがあった。退職、入院、逝去…

それでも月日は過ぎ、息子は、1年生になった。

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