息子の8歳の誕生日に思う
2019年11月13日。息子が8歳になった。毎年、一緒に過ごした誕生日を離れて過ごす、異国の地で息子、そして娘を想ってる。もちろん、妻のことも。
8歳の僕の話
僕自身にとって8歳は、特別な年だったと思う。ある意味、僕の一つのベースになった年だった。鹿児島県初の山村留学に参加した年だ。多分、この頃から、「〇〇初」には、魅かれてた。人とは違う自分になりたかったのだと思う。
初めての夜
自分から、参加したいと両親に打診したという、山村留学。PTAの役員だった里親さんが、僕を受け入れてくれた。
初めて、里親さんの家で過ごした夜は泣いた。PTAの会合で遅くなる里親さん不在の家で、泣き明かした。できたての姉、兄、弟、爺ちゃん婆ちゃんと過ごした。それは覚えてる。でも当時の僕の心に残っていたのは、「捨てられた僕」だったようだ。今となっては、よく覚えていないけど、当時はそう思っていたらしい。半分、ネタだけど。
1年間。前例なし。
今、親になって思う感覚とすれば、親も相当の覚悟が必要なことだったと思う。
小学校2年生。今から四半世紀前の記憶だ。おぼろげだ。
覚えていること
子供が生まれて、里帰りした。色んなことを思い出した。
一つ年下の弟ができて、中学生の兄と姉ができた。
毎日、山道を歩いて学校に通ったこと。今は、道が舗装されてた。
飲食業をしていた母親の見様見真似で作った正月料理(錦卵)。なんで作ったかは、覚えてない。
超少人数の学校で、好きだの、恋人だの。話していたこと。でも、家が離れていて、自宅に遊びに行ったことはほとんどない。スマホ越しに聞く息子の話に、淡い思い出を想い出す。
ものすごく美味しかった「椎茸のバター焼き」。家の裏に、椎茸の原木があった。僕の「お袋の味」の一つだ。
当時、流行っていた⁈エアーガンのこと。暴発防止ロックをしていたのに、里親のおじちゃんが気づかずに、無理やり引き金を引いて、壊れたこと(おじちゃん気づかず)本邦初告白。笑
オオクワガタを捕まえたと喜んでいたら、いつの間にか、年上の兄貴分の虫かごに入っていたこと。
面白いことを考えて、誰かびっくりさせたくて、アマガエルを口から出すという荒技を身につけたこと。何度か飲み込みかけた記憶がある。
小さなコミュニティで、交通事故で亡くなった人がいたこと。
相撲で、上級生をぶち投げたこと。
高校の先輩に、当時のサッカー部の先輩がいたこと。高校の2つ上の先輩は、すごく大人に見えた。
数年後、一緒に山村留学に参加した人が亡くなったことをニュースで知ったこと。
何度か、講演の機会に呼んでもらったこと。
書いていたら、長くなるから、この辺で。きれいになった校舎と白髪の増えた姿や、曲がった腰に、月日の流れを感じた。
機会があれば、子供を預かる経験をしたいと思う。宝島でもしたかったことの一つだ。
そんな経験から
僕は、〇〇初、に弱い。人と違うことをしたがる。
中学の頃も、その端々があった。大学を卒業して、海外に出たことも。10年来のお世話になっている黒岩さんからの誘いにのったのも、それが根っこにある。
息子が、8歳になる2019年に、特別な想いがあったのかもしれない。僕にできることが、日本の端っこから、広い世界に出ることだった。色んなことを考えて、諦めそうにもなったけど、この結果がどうなるかは誰にもわからない。ただ、その価値観を決めるのは自分たちだということは、ぶらせない。
「井の中の蛙、大海を知らず。」
「井の中の蛙、大海を知らず。」の先には続きがある。
「されど、空の深さを知る。」大人になってから知った。
息子たちは、実体験として、
「海の蒼さを知っている。」
全然まとまらないけど、物事は意味づけだ。
どんな経験も、「今」の自分ができる意味づけ。ストーリーを創れるか。自分の人生のストーリーテラーは、自分だけだ。
僕が、山村留学に参加したいと言った時。確実に、周りの環境が影響してたはず。だからこそ自覚しているのが、僕は、子供たちの環境の一つでしかない。ということ。
ふと、思い出したこの曲。
家族って、有り難いと思った。
今度会った時、全力で噛み締めて。抱きしめたいと思う。
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