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田んぼが異世代交流の場所になった話

宝島で日々の暮らしを営む中で、移住当初から、島の伝統を残したいという声を聞いてきた。旧暦のこよみで行われる、昔ながらの政も残っていた。米づくりも政にとっても大事なことの一つだった。

田植えや稲刈りになると、普段はつえをついて歩く高齢者も、田んぼに入っていく。心が動けば、体が動くことを目の当たりにした。「米づくりを続けるお手伝いをしたい」。そう思った瞬間だった。

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仕事の合間に、地域の有志と共に取り組むようになった。転勤で来た教職員や移住者と地元の人がつながる場づくりという狙いもあった。

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初めての合鴨農法

今年は「農薬を使わず自然に優しい」ということで、以前から興味を持っていた合鴨農法に初めて取り組んだ。卵の島内自給を目指して鶏は飼っていたが、合鴨を育てることは初めての体験だった。島の高齢者が見守る中、わが子や地域の子供たちと一緒に学びながらの挑戦。そんな時、ヒナを放してすぐに、大雨で田んぼが増水した。

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その夜、心配になって田んぼに行くと、弱っているヒナがいた。真っ暗闇の中、子供に電灯で照らしてもらいながら、田んぼに飛び込んだ。生き物を育てることの責任を、子供たちと感じられる時間でもあった。

世代を超えた関わりが持てるきっかけになる―。宝島では初めての合鴨農法ということもあり、多くの人が田んぼの前で立ち止まり、田んぼ談義が始まるようになった。アカショウビンが田んぼにはまっていたり、絶滅が危惧されているヨシゴイが防鳥ネットの中に入り込んでいたり。数々の思い出をつくってくれている。学びの連続であるし、宝島の豊かな自然を感じる機会でもある。

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現在の田んぼはと言うと、草を取らずとも、稲はスクスクと育ち、いつも給餌する場所には、合鴨が文字通り、首を長くして待っている。そんな様子を学校や保育園に向かう子供や、畑から帰る大人の足を止めさせている。

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関わり、交わる

すぐそばの介護事業所の高齢者に、合鴨や稲の様子を報告しに来てくれる。それを聞いて、一緒に田んぼに向かう。経験豊富な大人たちが生き生きと話す時、聞く子供たちの目もキラキラしている。

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カタチは変われど、小さな積み重ねによって、宝島に望まれるもの、求められるものは残り続けるだろうと思う。台風が迫る中、稲刈りを行った。続けてきたことの意味を思い返し、お世話になった人たちとの思い出を偲びながら。

豊かな自然と、あたたかい人たちの中で育つ子供たちが、少しでも心に残るコトやモノ、そしてヒトと出会えればと願っている。何より、合鴨と稲、そして子供たちの成長を楽しみにしているのは、地域の大人、そして僕自身である。

末筆ながら、一喜一憂しながら米づくりをする仲間と、助言を頂く橋口孝久さんにも、心から感謝の意を伝えたい。


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