見出し画像

受け継ぎたい味

美江子さんは、当時88歳。

数年前に脳梗塞を患い、後遺症の片麻痺がある。倒れた直後は、住み慣れた小宝島には、介護施設がなかったため、鹿児島の施設に入所されていた。
それまで一緒に暮らしていた家族も受け入れざるをえない、現実だった。

それでも、「島に帰りたい」。いやそれよりも、家族が「島に帰って来て欲しい」と願っていた。昔から小宝島の兄弟島と言われている隣の島、宝島に、「たから」ができたことで、その願いが実現した。

それまで過ごしていた鹿児島の施設に比べれば、まだ十分な設備が整っていなかった島での暮らしは不便な生活だったと思う。だけど、実娘の嫁ぎ先でもある宝島には、美江子さんのことを知っている人がたくさんいた。そして、美江子さんが知っている人もたくさんいた。
トイレに行くにも、お風呂に入るにも、人にお願いしないといけない。
きっと、人にお願いする立場でいるということは、幾分かの後ろめたさがあったのだと思う。

「いつも、ありがとうね。」

美江子さんの口癖だった。

そういえば、一緒に畑に行ったとき、こんなことを話されてた。
慣れない畑仕事をするスタッフに少し苛立った口調で、
「そんなやり方じゃ、いかん!身体が動けば、教えてあげられるのに、できんのよ。」と。
それは、スタッフへの苛立ちだったのだろうか。笑顔がではありながらも、目が潤んでいるようにも見えた。
その小さなもどかしさが、ふと消える瞬間があることに気がついた。

ある日、みんなで「やきもち」をつくろうという話になりました。教えてくれたのは、美江子さん。
やきもちは、昔からお祝いの時にも焼かれていた、自慢のお菓子。

美江子さんは、やきもちを焼きながら、色んな話をしてくれた。
豊かではなかった時代、お母さんと焼く、ごちそうだった話。
その味を、引き継ぐために、娘たちと焼いていた話。
自然に笑顔があふれ、表情に熱がこもっていたように感じる。

優しい口調、時には厳しい口調で教えてくれる姿。
これが、美江子さんなんだなって、思った。

それから、何かあるたびに、美江子さんがやきもちを焼いてくれるようになった。
島の子供たちが遊びに来たとき、学校で島をあげての催しが行われるとき、来客を歓迎するとき。

美江子さんが、若い人にやきもちの焼き方を教えてくれる機会も増えた。やきもちを焼くたびに、美江子さんが還ってきました。

「いつも、ありがとうね」
今では、美江子さんからではなく、周りの人から聞こえてくるようになっている。
介護が必要になった人は、何もできない人じゃない。それを、身をもって示してくれたのが美江子さんだ。

画像1

【やきもち】
黒糖独特のほんのりとした、どこか懐かしい甘さは、田舎のばあちゃんの味。
やきもちを焼くのには、少し時間がかかる。
弱火でゆっくり焼かなくては、黒砂糖たっぷりのタネは、すぐに焦げ付いてしまいます。焼きたてが、最高においしい。 美江子さんの優しい想いと懐かしい甘さが詰まったやきもちには、慌ただしい社会に対して「ゆっくりゆっくり」と立ち止まらせてくれる力がある。火の前で、火加減を調節しながら、急げない、ゆっくりとした時間が、美味しさそのものかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?