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介護を通して、生を学ぶ 〜島民への感謝〜

私たちは3月、約10年関わってきた宝島の介護事業から撤退し、次の事業者に引き継ぐ。主な理由は、島民や行政との方向性の違いと、人材確保の難しさが挙げられる。

管理者として考えてきたのは、自分たちの存在意義だった。島民の思いに寄り添い「島でのみとり」を進めてきたつもりだったが、医療職を含めた行政側は、リスク管理を優先させ、考え方は次第に溝ができたように思う。ぶつかり合いながらも、お互いの立場を、理解はしようとしてきたと思っているが、譲れない部分もあった。

事業所を始めた頃は、住民と行政、事業者で話し合いを重ねて決めていたことも、多くを任せてもらえるようになった。よく言えば住民との信頼関係のたまものなのだが、その責任を担えるわけではない。自分自身が長く住んでしがらみが増え、身動きがとれにくくなっていたことを感じる。

「宝島を姥捨山にするつもりか!」。こんな風に意見をぶつけ、当事者意識を持って考えてくれる島民が少なくなってしまった気がしている。年月と共に、宝島のあり方を考える〝島のリーダー〟が見えにくくなってきたようにも思う。

ここ数年は日常のコミュニケーションや会議、酒の場で話をした事もあった。だが、私には現状を変えることはできなかった。ただ、この時間こそが、私たち事業者と島民を成長させてくれた時間だったと振り返る。撤退を表明して改めて、「宝島で、宝島の皆さんと高齢者を支える」ということに、一緒に向き合えるようになった。撤退という道を選んだが、島民のバックアップは可能な限りしていきたいと思っている。

離島という土地柄、人材確保も難しかった。私は2019年4月以降、ベトナムへ移住することを決めた。現在議論が進んでいる外国人材について、まずは何かを感じたいからだ。

宝島で学んだことは、「自分は自分にできることを積み上げるしかない」ということ。そして「自分だけや、自分たちだけでやらないこと」だった。

経験不足の私たちをフォローしてくれている仲間、全国から見守って下さっている皆様に、この場を借りて感謝の意をお伝えしたい。宝島で過ごした人々は、島を去っていった後も、亡くなった後も、あらゆる場面で語り継がれる。いつまでも誰かが覚えていてくれる―。私たちもその中の一人になりたい。

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