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“レギュラー”を目指すあなたへ(主にライターとしての)
こんにちは。編集者の今井ともうします。さっそくですが、少し昔話をさせてください。
12年、熱心に野球をやったけれど小1で野球をはじめ、高3の硬式野球部引退まで12年間、野球中心の生活を送りました。頭を丸め、毎日朝晩の練習に出て、時には昼休みにも素振りをし、たまの休みは『実況パワフルプロ野球』をやり、あだち充の『H2』や、満田拓也の『MAJOR』をセリフを覚えるまで読み込み——それはそれは、夢中で
「ダサいと思われたくない友だち」にどこで会ったか。
2012年4月。26歳だったぼくは、新卒で入って4年勤めた広告の会社を退社し、出版社に転職した。肩書きが「ディレクター」から「編集者」へと変わり、新しい仕事をはじめたその矢先、ぼくは来た道を戻るかのように、とあるご隠居がはじめた広告の私塾へ通い出した。水曜日だけ早く帰りたくて……と後出しで交渉したとき、新しい上司たちは困惑していたように思う。
これからは売り方を知ってる編集者が必要とされるからと
こわくてやさしいハンバートハンバートについて
ゴールデンウィークも終盤になったこどもの日の深夜2時。オフィスから帰宅するなり、いそいそとウイスキーをソーダで割り、それを片手で持ったままリビングにあるキャンプ用の椅子に深く腰掛け、テレビをつけて、録画しておいたある番組を一言一句聞き逃すまいとみる。ちょっと泣きそうになりながら。
ハンバートハンバートという大好きなミュージシャンが、NHKに出たのだ。
ハンバートハンバートは、佐藤良成(りょうせ
会社が2年つづいています。びっくりしっぱなしです。
編集とイベントの会社「ツドイ」が3期目に入りました。創業から丸2年が経ったことになります。おかげさまで2年連続黒字となり、きちんと納税もできそうです。メンバーも増えて、みんな成長しています。会社の外にも、ゆかいな仲間が増えました。
いいことがたくさんあったので、ちょっと近況を書かせてください。ちなみに本記事、スクロールすると長いかもしれませんが、それは紹介したいリンク先がたくさんあるせいで、テキ
「いい汗のかけるおっさん」
「付き合いが長いのに、いまだに緊張する人」っていませんか?
もう何度も顔を合わせているし、ごはんも一緒に食べているし、少しぐらい軽口叩いても笑って許してくれるのに、なんだか気が抜けない人。
いま考えていることの浅さとか、取り繕っているだけの目標とか、ほんとうは聞いて欲しくないこととか、そういうのを全部見透かされている気になる、身も心もスケスケにされてしまう人、いませんか?
ぼくにとってそんな
いつかは「AVANTI」
今日はラジオ収録だった。収録というとかっこいいけれど、入居しているシェアオフィスの共用スペースで、マイクをつけたiPhoneをチョコパイの箱の上に置いて行う極めて簡素なものだ。
校正と校閲の会社鷗来堂の社長であり、かもめブックスの店主でもある柳下恭平さんとラジオをはじめて半年。配信回数は20回を超えた。特段リスナー(こっぱずかしいが他に表現が見つからない)が増えている気はしないが、友人が減った気
「写経」に意味はあるのかい?
新卒で求人広告のコピーライターをやっていたころ、不景気でまったく仕事がなかった。
リーマンショックの前、ゼロ年代でもっとも景気のいい時期に配属が決まり、配属直後に日経平均株価が大暴落。どうにかして(できれば次の決算までに)人を減らさないといけなくなった日本企業は、もちろん求人広告など出さなくなり、残ったのは、取材先も書くものもなく、ただやる気だけがある新人だった。
当時の課長はじめ課員の先輩た
15年おそい絶好調。
いま、人生でいちばん調子がいい。何のことか、バッティングである。
前にも書いた気がするが、ぼくは小1〜高3まで野球をやっていた。特に高校3年間は頭を丸め酒もタバコも当然やらず、練習をサボることもなく、修学旅行先の沖縄に行っても浜辺で素振りをするような、まじめでつまらない高校球児だった。
一所懸命、自分なりに手を抜くことなく野球に向き合ったが、50校前後と全国的に見てもレベルが低い滋賀県の高校野
何年たっても、ピザポテト
うちの母は、かつてカルビーに勤めていた。
滋賀県内のスーパーを車で回って新商品やリニューアル品のサンプルを配り、ひと箱でも多くの注文をもらってくるのが仕事の営業ウーマンだ。時間の融通が利いていいんだと、なんだかんだ、20年以上にわたって同じ仕事を続けた。
母の仕事の関係上、家には常にカルビー製品があふれていた。ポテトチップスはもちろん、じゃがりこ、サッポロポテトにかっぱえびせん、ピザポテト、カ
ワーク・ライフ・バランスより、ホーム・オフィス・バランス。
老後。夢とまでは言わないが、仕事をしなくなって、たっぷり時間ができたらたらやりたいと思っていることがひとつある。明治神宮球場のシーズンシートを毎年買いたい。そして、「いつもあの席にいるおじいさん」になりたい。
たぶん50年後とかになるので、いま活躍している選手は指導者としても残っていないだろう。現在大活躍中の山田哲人選手が「レジェンド」として始球式なんかしちゃってるかもしれない。それを微笑ましく
ぼくの父は「たぶん」こんな人間です。
いきなりローカルネタで恐縮だが、その昔滋賀県のローカル局では、こんなCMが流れていた。
滋賀県のアラサー以上の人なら30回は見たことがあるであろうこのなんでもないボート免許のCM。このCMで20秒ぐらいから映るボートを運転しているのが、何を隠そうぼくの父である。
当時、父は「ヤンマーマリーナ」というヤンマー社が経営する、琵琶湖用のクルーザーやボート、ジェットスキーを停泊させておくマリーナで働い
赤い電車に、乗らなかった
くるりが2005年に発表した『赤い電車』という曲がある。
この曲は、京浜急行電鉄のテーマソングだ。東京の玄関口品川と、まぐろの美味しい三浦半島をつなぐ京急。神奈川の海沿いを南に蛇行しながらくだっていく赤い姿がかっこいい。
何しろくるりが好きなので、発売当時滋賀県に住んでいたぼくは「東京に行ったら、京急っていうやつに乗る」と思っていたし、東京に住むいまも、路線を選べるときはできるだけ京急線を使う