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ワーク・ライフ・バランスより、ホーム・オフィス・バランス。

老後。夢とまでは言わないが、仕事をしなくなって、たっぷり時間ができたらたらやりたいと思っていることがひとつある。明治神宮球場のシーズンシートを毎年買いたい。そして、「いつもあの席にいるおじいさん」になりたい。

たぶん50年後とかになるので、いま活躍している選手は指導者としても残っていないだろう。現在大活躍中の山田哲人選手が「レジェンド」として始球式なんかしちゃってるかもしれない。それを微笑ましく見ながら、馴染みの売り子からいつもより一杯多めにビールを買ったりする……。

健康に老後を迎えているとか、安くないシーズンシートを買えているとか、それでいてなお、気兼ねなくビールを頼む蓄えがあるとか、ずっと野球を好きでいることとか、複数の観点からみた「いい老後」のイメージとして悪くないと思っている。

そして最近、この「神宮シーズンシート計画」が、もう一つすばらしいメリットを内包していることに気付いた。この計画が実現すれば、少なくともプロ野球のシーズン中は、家を空ける大義名分を得られるのだ。

これ実は、すごく大きなことなんじゃないかと思う。「ちょっと出てくる」じゃなくて「神宮に行ってくる」と言える。家族も笑顔で送ってくれるだろうし、ぼくも堂々と、確かな歩みで駅に向かうことができる。みんなハッピーだ。

ぼくは、自宅が大好きな人間だ。お呼ばれするより招待したいし、できるだけ家で眠りたい。でもきっとそれは、今のような「自宅8時間:オフィス16時間」といった時間配分だからこそ成り立っている感情だと考えている。

刺激にあふれ、喜怒哀楽が乱高下する、日中オフィスで過ごす時間。そこを離れ、自転車をゆっくり漕ぎながら心の波を落ちつけて帰宅し、思いっきり弛緩して過ごす自宅での時間。この間の感情の変化が、そのまま生活のリズムになり、ハリとなっている。ぼくはこのバランスだからこそ、自宅もオフィスも大好きでいられるのだ。

これが引退して「自宅24時間:オフィス0時間」になると、たぶんぜんぜん楽しくない。最初は本が読める、映画が見られる、音楽が聴けるとよろこぶかもしれないが、それもきっと1週間で飽きてしまうだろう。飽きたら悲惨だ。無意識にリズムを取り戻そうとして、うっかり古巣に遊びに行き、経営や編集について偉そうにアドバイスするめんどくさいじじいに成り下がってしまいかねない。そーんなのはーいーやだ。

そんなことを考えていたら「ホーム・オフィス・バランス」という言葉が頭に浮かんだ。なんだか便利に使われすぎて逆によくわかんなくなっている「ワーク・ライフ・バランス」より、単純な滞在時間としてのホーム・オフィス・バランスを考える方がよっぽど建設的なんじゃなかろうか。

自分が何時間を会社で過ごし、何時間家にいられたら幸せなのかを考えてみる。自宅にずっといたい人は、それが可能になる企業や職種を選べばいいし、逆もまた然りだ。家が嫌いだからずっと会社にいるって人がいてもいいと思う。

老後、「オフィス」を失ったときに、「ホーム」と「何」でバランスをとるのか。ちょっと考えながら生きていくと、あとで慌てなくてすむのかもしれませんね。ぼくはとりあえず、ホーム・スタジアム・バランスの整った生活ができるよう、「神宮シーズンシート計画」の実現を目指したいと思います。