「生きてるうちに来い!」
世の中には、カバーをのぞいて、もう演奏されようのない曲というのがある。演者が亡くなっていたり、バンドが解散していたり、なんらかの理由でその曲が封印されていたりするからだ。
うれしいことにぼくは32年の人生のなかで、「もう聴けない曲」をいくつか生で聴き、目撃してきた。
・忌野清志郎『雨あがりの夜空に』、『JUMP』
・OASIS『Don't Look Back in Anger』
・THE HIGH-LOWS『千年メダル』
・SAKEROCK『SAYONARA』
そもそも大好きだったこれらの曲は、ライブで聴くことで魔法がかかり、どれも特別なものになった。
「ずっと聴いてたあの曲」をライブで聴けることの幸せは格別だ。恋い焦がれた果てでやっと同じ空間を共有できたミュージシャン。その一挙手一投足を目を皿にして追い、まるでイントロクイズをしているかのように一音目から耳を澄まし、誰より早く「その曲」のはじまりを察知して、いの一番に声をあげる——音楽を好きでいてよかったと思う瞬間。書いてるだけでもテンションが上がる。
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先日、チャットモンチーのラストワンマンライブに行った。
彼女たちのことは、デビュー直前から大好きだった。ライブにも何度も行ったし、アルバムでは飽き足らず、シングルまで全部買っていた時期もある。
しかし、何かきっかけがあったわけじゃないのだけど、ある時期から「新譜が出ていれば試聴はする」ぐらいの温度になり、フェスで見かけても「他に目当てがなければ見る」ぐらいの、いわゆる「昔好きだったバンド」になった。
ところが、そんなチャットモンチーの解散(公式発表は「完結」)が発表され、ぼくは想定以上にあわてた。まだ生で聴かせてもらっていない「ずっと聴いてたあの曲」があったからだ。
「愚痴みたいなうた 吐いて サプリみたいなうた 食べて ヤジみたいなうた とばして 説教じみたうた くらって」と、東京で走りつづける苦しさを皮肉たっぷりに歌ったこの『いたちごっこ』という曲が大好きで、ぼくの彼女らに対するテンションの変化とは無関係に、何度も何度も聴いていた。
また好きだったころのチャットモンチーが戻ってきたようでひとり興奮して聴いていたこの曲を生で聴けるチャンスは、もう二度とやってこない。そう思ったぼくは、なんとかチケットを手に入れ、最後を見届けようと武道館へ向かった。向かったのだけど。
結論から言えば『いたちごっこ』が演奏されることはなかった。
最後まで脱皮と変身を繰り返す、チャットモンチーらしくていいライブだったけど、個人的には目的を果たすことができなかったのだ。これでもう、ぼくの中で『いたちごっこ』に魔法がかかることはないと思うと、またグッとさびしさがつのった。
武道館を出て夜風がそよぐ千鳥ヶ淵を歩くなか、矢野顕子さんのこんなMCを思い出した。
「忌野清志郎の葬式に4万人とか40万人とか集まったんだって? そんなのに集まれるくらいだったら、生きてるうちに来い! 生きてる矢野顕子を見に来い!」
http://www.satonao.com/archives/2009/08/post_2686.html
何度みても、おっしゃる通りである。チャットモンチーのふたりは死んではいないけど、要旨は同じだ。
もっと早く、あの曲を好きになった瞬間にぴあのサイトに飛んでチケットをおさえていれば特別な曲を増やせたのに、ぼくはそれをしなかった。そんなくだらない後悔が、ボーッとしているといくらでも増えていく。
山下達郎の『高気圧ガール』も、スピッツの『夢追い虫』も宇多田の『Goodbye Happiness』もサザンの『希望の轍』ももっともっと特別な曲にしたいから、貪欲にチケットを取ろうと決意した夜でした。
まずは月末のフジロック。ボブ、この曲やってくれないかなあ。