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【沖縄】 弥勒世、ひとり旅

沖縄/那覇空港ー

かつてホーチミンで暮らしていたときに、ある日本人女性と、ある会の流れで酒場で親しくなり、ときどき市内で一緒に、よく冷えたタイガービールを楽しんだ

彼女はその後、ドイツ人の料理人と結ばれ、可愛い女の子を出産し、一家でオーストリアに引っ越していった

ちょうどその年、わたしは長く勤めた会社を辞め、東欧へ長い旅にでていて、その途上、パリから連絡するとその友人ーSATOCOさんは
「遊びにいらっしゃいよ!」と温かく歓迎してくれ、陸路でスイスとドイツを経てオーストリアまで足を伸ばし、ずうずうしくもしばらくお世話になったのだ

それは真冬の2月の、しんしんと雪が降り続けるオーストリアのチロル地方で、老舗レストランの屋根裏部屋をまったくの無償で提供してくれ、ほとんど毎晩、その一家やお店のスタッフさんたちと食事を共にし、当時はまだ生後間もないジュナちゃんを抱っこさせてもらってあやしたり、小さな町を散歩して遊んだ

ジュナちゃんのネンコはげ
真冬のキュッツビュール


本来のスケッチではそこからウィーンやザルツブルグへ寄る計画だったが、あまりの居心地のよさにずるずると・・・

雪の中を駆ける二頭立ての馬車

ある夜、SATOCOさんのご主人のドイツ人、アンディと白ワインのソーダ割りを飲んでいると、彼はこういったー”まつざわさん、誰か日本人の料理人に知り合いはいないだろうか?”

いた
同じ会社の別部門で働いていた元同僚で、ホーチミンで包丁を握っていたが、ちょうどそのとき彼ー通称”ベー浜親方”(当時50代)も退職し、故郷の静岡に戻っていたのだ

左からアンディ、ジュナちゃん

結果的にわたしが帰国後に親方を紹介することになり、オーストリアの老舗高級レストランの一角で親方の名前を冠した、「はま寿司」が展開されることになるのだ

その後、この一家は腕の確かな料理の宿命ともいうべき道を辿り、わたしが知っているだけでも、ベトナム→オーストリア→マレーシア→ベトナムへ引越し、今はー

 毎年2月になると、SATOCOさんに「オーストリアでのお返しをしたい」とは常々連絡してきて、今年も同様の連絡をとってみたらー

なんと沖縄に移住しているらしい!!

この一家を捕まえようと思うと本当に大変なのだ
何しろわたしたちは、これまで同じ国で会ったことがないのだから

しかもドイツ人のご主人、アンディは本島のホテルシェフとして腕をふるいながらも、沖縄産のアグー豚を使ってソーセージを作るための準備と、奮闘を始めているらしい

いずれはそれをもって、アンディの本国でもあり、同時にソーセージの本場でもあるドイツに宣戦布告でもするのか?
そして、だから全面戦争でも仕掛けるのか?

面白い・・・
Andy=Satoco=Juna一家
相変わらず・・・興味の尽きない家族だ

そしてこの一家に、「会いにいってみようか」が、「会いにいこう」に変わるまではほとんど間を置かず、 SATOCOさんにコンタクトを取り、約25年ぶりの沖縄へ

那覇空港に降り立っていきなり、前からどうしても食べてみたかった「ぽーたまおにぎり」とオリオンビールに遭遇し、舌鼓を打ち、本日二回目の昼食

一蘭 福岡空港店
ポーたまおにぎり

やれやれ
これじゃ先が思いやられるぜ

そして沖縄旅行のはじまり


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