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楽団で得た、青春のような社会人の話

昨今の情勢を鑑み、練習が中止になってから1ヵ月以上が経過した。
そもそも練習場所の施設すら動いていないし、三密揃う吹奏楽の練習が再開できるのは、緊急事態宣言の期間が終わってすぐとも限らない。
緊急事態宣言だって、今出ている期間で終わるわけじゃないかもしれない。

本当は、5月に楽団を辞めようと思っていた。
体力の問題、気力の問題、住環境の問題。
土日を練習に捧げて週5日働く生活を年に数か月でもすることが辛い気持ちが増してきたし、そろそろ実家暮らしを卒業する潮時だと思っていた。
そしたら必然的に練習はより遠くなるし、そこまでして練習に行けるほど、私はエネルギッシュな人間じゃない。

だけど、この状況。
最後に出たいと思っていた定期演奏会は日程未定の延期になり、出ない予定でいたコンクールも開催から危ぶまれている。
県によっては中止を決めたところもあるらしいけど、本体の結論はまだ出ていない。
最後にひとつ、ちゃんと本番をもう1回楽しんで終わりたいと、覚悟していなかった頭の中の小人が小さく泣く。

社会人1年目の時に、楽団に入団した。
ついていけない練習、潰れる土日、社会人にとって唯一休みかつ翌日も休みな日である土曜日の夜は、毎週練習で埋め尽くされた。
会社の同期とはまた別の、同期の繋がり。
帰り道にみんなで他愛無い話をして、毎週のように顔を合わせて。
高校時代の吹奏楽部でうまくいかなかった私にとって、青春のやりなおしのような環境だった。

楽団の同期のみんなでグループ旅行に行ったこと。
本番前日の帰り道でお菓子を買って、なかなかこない僻地の電車を待ったこと。
初めてアンサンブルを組んで練習をしたこと、その合間にいちご狩りになんて行ったこと。
観覧車の定員めいっぱいで夜の街を見下ろして、新幹線で恋バナしていた時のこと。
そして、本番直前の舞台袖で、頑張ろうねって笑って駆け出した演奏会の日のこと。

楽しかった。
社会人になってしまうと、年の近い人と一緒にいる機会がめっきり減る。
その中で、毎週会えて日常を共有できて、「また来週」が言える関係というのは、救いだったし安心できた。
簡単に失ってしまう淡い関係の中で、抜けてしまった人はいても、淡いままこんなに続けていける状態であることが嬉しかった。

友達は皆、特別仲良かった子としか会わない。
それも、その会う日が特別な日になるくらい、たまに。
毎日なんとなく顔を合わせてなんとなく仲がいい程度の友達とは、簡単に疎遠になってしまう。
そんな中、仲のいいクラスメイトのように過ごせる環境は貴重で大切で、それ自体がもう特別だった。
私はいつ辞めることになるのか、結局今はわからないけれど、ここを抜けたらこんな関係性はもうなくなってしまうんだと考えると、やっぱり寂しくてなんだか手放せない。
青春の後追い、もう充分たくさん楽しんだでしょう。

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